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疲れてる / 日記

インターネットで愚痴らないとやっていけないほど生活が切羽詰まっているが、ぐちぐちと書き起こしていく作業がつらくなってきている。


書けども書けども自分の話なのだから、つまらなく感じるのは至極当然の話である。しかしなにぶん忘れっぽい性分だから、痛みもつらさもそれに伴い考えたことも忘れてしまう。忘れて、忘れまくれまくって、何ヶ月か後には何を思い出しても自己嫌悪と社会憎悪に還元される。記憶を何度も反芻ながら、「あのときこうしていれば」だとか「本当はこう考えているべきだった」と考えているうちに、事実を上書き保存する。はじめは手を滑らせたかのように修正し、次第に慣れてくると道化で愚か者のふりをして堂々と矛盾を見過ごしていく。なにぶんやっていることが己の記憶の修正と、人格の破壊であるから性質が悪い。
そんな日々を繰り返しているうちに、気付けばまったく違う自分になっている。真夜中に頭によぎるのは、自分と同じ顔をした別人に、自分の体を乗っ取られている妄想だ。
僕にとっての日記とは、そうした自分にあらがうために書くものだと思う。あるいは、”抵抗をしていた”とアリバイ工作するためのものである。

"明日の自分"が、"今日の僕"と同じ人間であるか分からなくなっている。10年前の自分の記憶が、信じられなくなってきている。
なんだか、自我が芽生え始めた小さな子供が感じるような不安が、ここのところ頭にこびりついている。あるいは不安を感じているような言動をやめられないでいる。これも僕以外の人間にとってはどうでもいい話だな。


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