アンパンですらない

ガムやチョコレート等の菓子類は1ロットが細かいため、様々な商品が折りたたみの箱に詰めあわされて店に届きます。箱は8つずつ台車に載せられた状態でトラックで運ばれます。トラックが店に到着すると荷台から台車が降ろされ、駐車場に一旦並べて置かれます。

この降ろされたあとの台車が、ある日の暖かな春のひざしのなかに2時間ほど放置されました。本来はすぐ屋内に取りこまれるはずの台車です。

結果アンパンマンチョコレートが溶けて、プラスチックのパッケージのなかで液体になっていました。さまざまな色をしていたはずのアンパンマンかもしれなかったもの、食パンマンかもしれなかったもの、カレーパンマンかもしれなかったもの、すべてみなドドメ色の汁と化して終わった。

わたしはこのときはじめて、これらがチョコレートであることに気づいた。
アンパンマンでも食パンマンでもカレーパンマンでもない、その形をしていただけのチョコレートだ。

あたりまえなんですが、チョコレートなのはわかってんだが、なんというのでしょうか。

アンパンマンって、アンパンですね。そこがポイントです。う〜ん、なんだろう、この違和感をどう説明したらいいか考えます。

たとえばピカチュウの形のチョコがあっても「これってピカチュウじゃなくてチョコじゃん」とはなりません。ピカチュウはもとから食べ物じゃないからです。ピカチュウを食べ物にするために人間はがんばってチョコレートでピカチュウを作ることに成功しました。かわいいから食べるのもったいないな、と思います。

でもアンパンマンってもともとアンパンですよね。ここがややこしい。アンパンマンはもともと食べられるのだぞ。アンパンを作ればいいんですよ素直に。アンパンでできたアンパンマンを作れば、それがアンパンマンでしょうが。アンパンマンはファンタジーの脚色を受けて作中では自我を持って動き回りますけど、そうじゃなければただのアンパンなわけです。

それをチョコレートで作ったら、アンパンで作ったアンパンマンよりさらに1次元、本来のアンパンマンから遠ざかっていますね(????)

チョコレートで作ったピカチュウに関しては「自我を持ったピカチュウではない」というかけ離れ方しかしてません。
しかしアンパンマンをチョコレートで作ると、もともとが食べられる素材でできたキャラであるがゆえに「自我を持ったアンパンマンではない」「アンパンですらない」という2段階のねじれかたをします。

どろどろに溶けて存在の輪郭を失った姿を見てはじめて気づきました。この人たちは矛盾を抱えながらも笑顔を振りまいていたんだ。酷いことをしてごめんね。

五本指ハムスター✌🏻🐹✌🏻