こわいゆめ

犬を殺す仕事の夢を見た。
夢のなかの私はみずからが、犬を殺すための装置のなかの鉄板のような一部品であり、白い犬を踏んで圧殺するのが日課であった。白い犬は顔が黒かったので多分パグだった。

心臓をばくばくさせながら目を覚まして、しばらく鋼鉄の体越しに感じたパグの骨肉の感触を思い出そうとする脳、それを恐れて収まらない心拍数に汗を流す。夢が怖すぎて気が狂うかもとおもう。

が、目を閉じて耐えていると健康な自律神経が役割を果たし、脈は徐々に落ちつく。それがカーテンのむこうから差す月光に諭され改心して去る悪夢の羽音のように遠ざかってゆくと、次第に犬を殺した感覚も非現実的にぼんやりとし、いまあるタオルケットやシーツのくすぐったい肌触りに上書きされて消える。

ここに体があることはだれにも変えようのない事実だ。不思議だが、まだしばらくはその事実が続く。ふたたび眠りにくだっていく心臓。

ほとんど赤子のころ、怖い夢を見るのがいやで眠れないことがあった。母や兄に相談すると彼らは一緒に寝るから大丈夫だよといい、たしかに一緒に寝た。感謝しなければならない。
ある日、一度だけなにかとてもいい夢を見た。いい夢というのはどのような夢かあまり覚えていないものだ。
なにかひだまりのような。花が咲くような、川が流れるような、自然で、それらがゆくゆくはほかのだれかの夢のなかにも香り、流れ着くことを予定している気のするような、普遍的なやわらかさに関する夢だった。

それからというもの。
いい夢を見るかもしれない、怖い夢を見るかもしれない。どちらにせよそれらはだれとも共有されない私のまぶたの裏だけに映写される映像なのだということがせつなく、しかしながらなんとなく、それは生きている今も同じようなものであると子どもながらに感じ、まだ見ていない夢のこと、まだ来ていない崩壊のことを必要以上に恐れるのは意味のないことだと非言語的に悟り、ただありのままの現象と知覚を受け入れよう、それを他者と優しく共有してゆこうとぼんやりと受けいれ、呑みこんだのだった。

五本指ハムスター✌🏻🐹✌🏻