Self-Love Gorilla だれでも

その日の主役がだれになるかは予想がつかない。あとから決まる。

冷たい麺を食べたあと、上野をよくわからないまま歩きはじめた我々は不忍口の交差点に立ち、見える範囲の木のあつまりをゆびさしてはあれが多分公園、いやあっちが公園、いやどっちも公園とか言って迷った。
結果目に見える範囲ぜんぶ公園でした。

広場で開かれている陶器市は低いテントの繋ぎ合わせ。そのしたに何百何千の器たちがどこまでも並ぶ。テントの継ぎ目で漏れた日を反射する陶。

一緒に歩いた人は箸を欲しがる。
透明な、持つほうに金箔の塗られているのを見つけて気に入ったようだったが、二千円したのでやめ、市場をあとにした。

そのすぐそばにその日、行くことになっていた博物館の荘厳な外観が見えたのだが、門のところに大きな文字で「閉館」と書かれており、我々は右に九十度進路を変えた。
そちらにも別の博物館があるにはあったが重々しい鉄柵が降りていて、なんびとたりともという様子だったので笑いながら通りすぎた。

そのすぐあと、やや腰をまげた老紳士が
「ちょっとおたずねしますが」
と帽子をあげながらわたしのほうに近づいてきた。寄り添っているのは御夫人らしい。ご主人は柔和な笑顔で、奥様はとても上品でお美しかった。
「なんとか博物館というのはどこでしょうか」
「あ、すぐそこですよ、すぐ。でも今日は閉館していました。ぼくたちも行きたかったのですけど……」
あら、そうだったの。ありがとうございます。どうしましょう、せっかくきたのにねえ。動物園でも見にいきましょうか。そうだねえ、動物園でも見にいこうか。

「じゃあぼくたちも動物園にいきましょうか……」
しばらく歩いたところでさっきの老夫婦があまりにかわいかったのでそれにつられて、行くことにした。

獣や魚を見る施設に足を運ぶとかならず、私の場合、動物を見ている人間のほうが気になってくる。動物よりも人間のほうが多かった。

疫病のあと、人間は生身で外を歩くことの爽快さを再認識したのだろうか、よく野外の施設を利用するようになったようである。動物園も平日だというのに大変賑わっていた。

どの動物も暑そう。だるそう。それに比べて、人間はこの夏日になにがそんなに面白いのかは知らぬが、大人も子供もみんなきゃっきゃと喜んで檻のなかをのぞいている。もう動物は、ぼくたちに飽き飽きしているのだ。

さて、今日の主役はゴリラだった。
ぼくはゴリラにはべつに期待していなかった。しかしゴリラが最もかわいかった。ほかの人たちも、順路に沿って歩いていると大体同じカップルや家族連れと一緒に歩くことになるものだが、ゴリラを見ているときが一番盛り上がっていた。

ゴリラが一番かわいい。アシカやシロクマを見て「なんか臭くない?」とか言ってた人間たちが、ゴリラのことは手を叩いて喜んでいた。あの毛むくじゃらの真っ黒くて大きめのお猿のことが、なによりもかわいかった。

なにがかわいかったのか分析するとすれば、人間らしかった。
ゴリラは一番人間の動きをしていた。
見物客をぼうっと眺めながら、ソファに寝転がってテレビを見ているおじさんの格好をしている。それをかわいいと感じる。
あるゴリラは考えているふりをしていた。考えるときの腕のかたちをして、人間のほうを向いてうずくまっている。それをおもむろにやめると、仲間のゴリラの背後にそっと忍びより、つんと後頭部を人差し指でつつく。そのまま背中合わせに座る。つつかれたほうのゴリラは振り向くこともなく、ただ突かれたところにずっと手をおいていた。
この様子をみていた私たちは歓声をあげた。
やはり人間を見にきている。

椅子と卓の並んだ広場で休んでいると、別の卓にいる子供たち数名と大人三名のグループがしずかで、話し声が聞こえないのでなにかと思えば、手話でやりとりをしている人々だった。

そのあとあんみつを食べにいった店で、車椅子に乗った人が私のために車輪をまわして、通路をあけてくれた。

あんみつ屋の給仕の男性は体は華奢なのに手だけががっしりと大きくて、その手で空いた卓をかたづけるのや台を拭くときの、まず私たちのテーブルにお茶を注ぎたしに来てくれたときの、威力に見とれた。

あんみつを食べながら、さっき見つけた箸のはなしをした。
じぶんはやっぱり透けているものに惹かれる、ゲームボーイも透明のだった。あんみつを頼んだ人は言った。
ああ、スケルトンのやつ。クリームの載ったあんみつを頼んだ欲張りの私は、言ってからスケルトンってなにっておもった。
相手もそのようで、スケルトンってどういう意味なのだろう、透けているってことか、ちょっと駄洒落っぽくないか、そういう話になる。
調べてみたらスケルトンに透明という意味はなく、やっぱり誤用だった。とてもショックだった。

帰りは久しぶりに満員電車だった。
いろんな人の体が近くにある。ぼくはそういう環境に安心する。心地よかった。みんながお互いの肉を拒絶せずに生きている。
夏だからなおさらそう感じた。見るひと見るひと、じぶんの体にきらいなところがなさそうだった。堂々と夏の服を着ている。みんなが自分の肉を拒絶せずに生きている。

五本指ハムスター✌🏻🐹✌🏻