だれも知っている空の黒さ

さようならをしたあと、気持ち悪くなった。行儀よくありたい、なんでも良い、なんでもおいしいと言いたいしそういう人でありたい自分と、居心地の悪さ、他者から見た自分の気持ちの悪さ、のりの悪さ、そういったもののあいだで吐き気を催していたのは、空きっ腹に酒を入れたのがよくなかったのだろうと考えれば次第に落ち着いてきた。

以前、バイト先の近くの韓国料理屋に行ったとき、店主から冗談で
「おいしくなさそうに食べるんだもの」
といわれた。
私はひとがおいしそうに食べるだとか、おいしくなさそうに食べるだとか、すごくいやだ。そういう病気なのだとおもう。そういえば母もそう。あそこのなにがおいしいとか、これをこうするとおいしいとか、なにを食べたいとか、どう食べたいとか、そういうのがなんとなくいやなのだった。
いやしいなと思うのだろうか。いや、それとはまた違う気がする。だってひとが、目の前にいる人がもりもりご飯を食べていたら、私だって気持ちいいのだ。でもただ、それをあからさまに話題にされると、なんだか悲しい気持ちになる。

久しぶりの電車を降りると、ホームの屋根と車体のあいだに見える夜空の帯が、一点の光もない暗黒だった。昼間に博物館で見た燻し鉄の釉薬や漆で仕上げた千年、二千年前の陶器がそのまま、今日の空にまで敷衍されている恐ろしさ。
この逃げ場のなさはだれにもわかってもらえないような気がした。
いいえ、そんなことはない。みんなおなじ夜を知っているはず。知っているはず、そう思って書いたり笑ったりしつづけるしかない。みんなそうだよ。

五本指ハムスター✌🏻🐹✌🏻