犬意識

「人間は自然を対象として見ていますね」
「そもそも、対象を認識できるのは人間だけのようですね」
「そうですね。あ、そうです、それが意識というものなのかもしれません」
「動物たちは意識を持っていない」
「はい、意識を持っていない状態、つまり自己と対象との区別がついていない状態であるから、自然のなかに生きる動物は自然を認識することも自分を認識することもなく、すべてが一体となっているのです」
「人間は生き物のなかで唯一意識を持っていますね」
「そうですね」
この人が人間を、動物のなかに含んでいないことに気づく。そういう考え方もあるのだ。でも、意識を持っていないものを動物と呼ぶのなら、意識を持っている人間は当然動物ではなく、ただ人間だ。
「ところでペットはどうなのでしょう」
「ペットには部分的に意識が認められるかもしれません」能動的なものではなく、受動的なもの、つまりほかの意識あるもの(人間)がそばにいてはじめて意識を持つと認識されるもの、愛玩動物。
「たまに人間のつもりでいるペットがいますね。とてもかわいい」
「とてもかわいい。でも人間の家で一緒にずっと暮らしているくせに、じぶんがたとえば犬であることに気づいていたら、その犬はちょっと賢すぎる」
私もわたしのことは人間であると思っているけれど、人間といることではじめて人間である状態、ペットの状態であるよ。ほんとうの人間は、能動的な確固たる意識を持っているものだとおもう。賢すぎる犬は人間の可能性があり、こわい。

五本指ハムスター✌🏻🐹✌🏻