さるすべり

あと十分で追加でオーダーすることになるよとぼくたちのあいだに声をかけにきたマスターはどこか、『渡る世間は鬼ばかり』の初代岡倉大吉を演ずる藤岡琢也に似ていた。髪型が四角いからだろうか。

コーヒーを飲む店を出てしばらく歩いた。神田川に沿ってピンク色の花を咲かせているこの低い木はなんという名前か調べて、おそらくこれがあのさるすべりという木であろう、そうに違いない、幹も猿がすべりやすいようにつるつるしているから、そう決めた。
あとはなみずきも植わっていて、一青窈が歌う名曲の歌詞のなかの
「薄紅色の可愛い君のね」
の「ね」部分が、全体的に意味のわからない歌詞のなかでも最も一般の日本語の感覚からずれていてかつ良い箇所として、我々に称えられた。
中野という区と新宿という区のさかいをしらずしらずにまたいではふり返った。

日が暮れはじめてやっと映画の時間となり、目的地を持って歩きはじめたら、同じ種類の犬を二匹ずつ連れた人々と、あまり間隔をおかずに二度すれ違った。ツーペア。一度は美脚のプードル二匹で、二度目はほぼ球体のブルドッグ二匹だった。

「ぼくたちが犬を飼うとしたら柴犬などよりもゴールデンレトリバーのほうが好感度高くないですか」
一緒に歩いていた人が突然言うのだが、最初全くわからずそれって君の主観じゃない? と思った、しかしすぐに客観的に了解可能な偏見として理解することができた。
「なるほど、柴犬は性欲の裏返しですよね」
「そういうことです」
「ゴールデンレトリバーを好きなら本当の犬好き、柴犬は見た目の好みが犬選びに現れてて無理ですね」
「そういうことです。ちわわは……」
「ちわわ……は、まあ……」
「まあ……ね。フレンチブルとか、あやしい」
「いやいや、フレンチブルなんてクロですよ。完全に性欲」

いま、ブルドッグなのかブルドックなのかわからなくなって調べたら、この犬種は見世物として牛と戦わせるために……というか絶対牛と犬が戦えるわけがないんだけれどその力の圧倒的な差を見て楽しむという「犬いじめ」とかゆう極悪なエンターテインメントが十八世紀英国で流行したらしく、その結果生まれた、牛とも対等にやりあえるための犬種なのだそう。人間のやること。

追記
犬いじめではなく、牛いじめだった。闘犬の一種で、牛を倒せるくらい強い犬を見て楽しむという、どちらかというと正の方向のエンタメだった。どちらにしても悪趣味だが、牛が犬を蹂躙するのを楽しむよりはまだましなことだな。

五本指ハムスター✌🏻🐹✌🏻