さいご

参道を歩くとき
境内の左右対称の求心力を
感じるようになったのは
どのように終わりにするかを
考えはじめてからで、
どこかじぶんの命を
ひとつの命として
手放して考えるようになったころ、
そこではじめて
鳥居も、狛犬も、仁王像も、
我々の命を迎えるように見え、
なぜ人類が脱自然界からの
表明としての宗教に
左右対称を選んだか、
身を以て知る。

老夫婦がいた。 
妻は玉砂利のうえを
十秒に一歩すすめれば
よいほうだった。
夫はその手を引いて
杖になっていた。
まっしろな昼、
そのひとたちの踏む石だけが
音だった。

私たちがそれを見たのは
お堂を拝むまえのことだった。
念じおわって、
いろんな人が眠っているあいだを
こっそりと歩いて抜けたあと、
その人たちはやっと参り終えて、
夫が妻を抱きかかえて
車にもどるところだった。
居合わせた数名の者や
わたしたちは
大丈夫かしらと見守っていたが、
敷地の外に停められた車に
無事たどりついたのをながめ、
胸をなでおろした。

五本指ハムスター✌🏻🐹✌🏻