すずめ雀
麻雀に憧れがあった。
兄も父もじぶんたちはできるのにぼくには教えてくれなかったからだ。
最近、やろうと思ってはやめ、思ってはやめた麻雀のルールをもう一度さらい、やっとネット麻雀を打てる程度には理解した。
ただ、この先も点数計算や勝つための戦略などを学ばなければいけないとおもうとそこまでの気力はもうなかった。点数表を一生懸命覚えようとしてもできず、私って本当の意味で頭が弱いのかもとかなり落ちこんだ。
しかもネット麻雀で遊んでいても、特段、麻雀をやっている! ぼくは大人だ! という感じはしなかった。どのような役を狙うか考えたり、勝って喜んだり、負けて悔しがったりしても、べつに「へえ……」という感じなのだ。
そこで気づきましたけど、わたしが憧れていたのってもしかして、牌?
そう、私は麻雀のシステムではなく、牌という物体に憧れていたのです。
さて、アニメ『少年アシベ』のなかで、アシベ宅においてアシベ父が仲間たちと麻雀をしているワンシーンがある。
アシベ父は白(ハク)を待っていて「白来い、白来い」と念じながら進めますが白は現れないままその局が終わります。すると、悔しがるアシベ父のかたわらに転がっていたゴマフアザラシのごまちゃんが、口をもごもご、そしてぺろりと舌を出します。その舌のうえに白。「なんだよ、お前が持ってたのかよ!」とアシベ父。
このシーンの白に麻雀への憧れのすべてが詰まっています。私は感動しました。ごまちゃんと全く同じ気持ちだったからです。
ごまちゃんは白を吐く前に、舌のうえで味わうような表情をします。白をしっかりしゃぶっている描写があるのです。それからぺろっと舌を出して白を見せる。
素晴らしい。
もしわたしが小さい頃に目の前に麻雀牌があったら、口に入れていると思います。しかもなんでも口に入れてしまう1歳や2歳のときではなく、5歳から10歳までのあいだに、確実に口に含んでいたとおもいます。もちろん飲み込まずに吐きだしますが、最低でもしゃぶってはいたとおもいます。
書いていてもキモいですが麻雀牌にはそうしたくなるような造形の美しさがあります。
言いたいこととしてまず、カードでいいだろ。
牌が直方体であるがゆえに場所をとりすぎますし、準備にも時間がかかります。カードでいいだろと思います。それでも今日まで牌という形式を保ってきたのは、牌というものの触り心地、重み、打牌の音などに人々が心理的愉悦を見出してきたからでもあると思うのです。その部分こそがわたしの憧れていた麻雀なのです。
それで、ルールをある程度学んだいま、じゃあネット上ではなくリアルの麻雀を打つか? と言われれば、打ちません。やはりもっと身近に牌がなければ、小さい頃に牌をしゃぶったことがなければ、実際に打とうとまではしないのが私です。
残念ながら実物の麻雀牌を見たことは一度もありません。それほど遠いところにある麻雀牌というものを触りたいがためにわざわざどこか、ふさわしい施設に出向くとか、麻雀牌を買うとか、そういったことは大げさなのでしたくありません。
そんなことをぼんやりと思っていたある日、すずめ雀なるものがあることを知り、あまりの造形の美しさにこれだと思い、即時に通販サイトで注文しました。
すずめ雀は麻雀を最大限簡易にしたボードゲームです。麻雀を知らない人でもすぐ覚えられるようなシステムが面白いのですが、一番感動したのは美しくコンパクトな牌のクオリティです。
麻雀は大げさすぎる、しかしネット麻雀は麻雀の良いと思う点が削がれている、そういう気持ちでいた私には最高のあそびです。
すずめ雀を手に入れてからというもの、毎晩すずめ雀を広げて、洗牌したり盲牌のしぐさを真似てみたりし、口に入れてみるまでしないあたりで自制していることで自尊心を高めてから、眠りについています。
こういうゲームを好きそうな友人が職場にいます。わたしは昼休憩に彼を誘い、休憩室の机にすずめ雀を広げました。なにか後ろめたい気もしますが、これはただのボードゲームです。
高校の文芸部ではみんなで集まってボードゲームばかりやっていました。盛り上がっていると先生がやってきて「麻雀だけはだめよ!」と言ってくることがありました。麻雀は校則で持ち込みが禁止されているのです。
やはり賭博のイメージがあるからだとおもいます。そういうわけで職場ですずめ雀を広げたときにはもしかしてみつかったら怒られるんじゃないか? 仕事場に持ってくるものじゃないと言われるのではないか? といろいろ思いましたが、だからなに?! 賭博しているわけでもあるまいし! と言い返す気だけ満々にして結局しっかり遊び、今度は4人くらいでやりたいねと話し対局を終えました。
五本指ハムスター✌🏻🐹✌🏻