渡天の僧、穴に入るのこと

いつか模擬試験の古典の問題だったか、どこかの学校の実際の試験だったか、あるいは問題集のなかだったか忘れましたが、宇治拾遺のなかから一節が抜粋されていた出題が怖すぎて、よく覚えています。じぶんのなかにある言いようのない気持ちのひとつに名前をつけてもらったような気もしました。

そういうことはたまにありました。我思う故に我在り、胡蝶の夢、少年の日の思い出、そういった先人の言葉に触れると、この気持ちを抱えているのはじぶんだけでないし、かな〜り一般的なことじゃん、教科書に載るくらいね、そうして気が軽くなったものです。

モルモットにはてんじくねずみという和名があるが、天竺だからつまりインドのネズミということだろうか。仏教的に考えるとずいぶんとまあ大層な名前のねずみである。

モルモットたちはぼくのすねに前足だけのぼって背伸びをして餌をねだる。それが何十匹と足のまわりにいるので、ぼくが足のばしょをすこし変えたときにかかとのところから「ぴゅう!!」という鳴き声がした瞬間、あ、これは踏んだなとおもった。

見てみれば一匹のてんじくねずみがうしろ足を気にして舐めたり、ひきずってぼくから逃げたりしていた……痛そうで、ほんとうに申し訳ない気持ちと、正直しかたがなかったという人間らしい最低な感情でいっぱいになって苦しかった。そのねずみをしばらく目で追っていたが他の大勢のねずみのなかに混ざってわからなくなってしまったとたん、ぼくはあの小さな小さな足を踏んでしまったときの足裏のかすかな感覚や悲痛な叫びをすっかり忘れて、というか他のモルモットかわいがりに集中し、努めて忘れようとした。

5.以下の文章を読み、あとに続く問題に答えなさい

むかし、天竺に渡った唐の僧侶がおりました。とくに目的もなく散策していたところ、山の片側に穴があるのを見つけました。一頭の牛がそのなかに入っていくので気になってついていってみますと、明るい一面の花畑にでました。牛が花のひとつを食べているのを見て、気になって食べてみますと、この世のものとは思えない美味でした。あまりにおいしいのでたくさん食べてしまいました。どんどん太ってしまいました。なんだか怖くなって穴の外に戻ろうとしましたが、体がつかえて出られなくなってしまいました。穴の外に人も見えましたが、声をかけても聞こえないようです。僧侶はそのまま死にました。三蔵法師が天竺に渡った際の日記にこう書かれているとのことです。(以上)

でもわたしがおもうにですよ、これは人生そのものです。穴の外からみたら怖いことですけど、穴の中でしかそもそもわたしたちは生きていない。みんなが花畑の平和のなかにいるし欲と煩悩のさなかにある。そして穴から出られなくなって死ぬ。べつに怖いことではなくてみんながそうなのです。

五本指ハムスター✌🏻🐹✌🏻