おじさんこども

(こどおじという略語が既にあり
混同される可能性もあるため
おじさんこどもという複合語を
用いています)

おじさんこどもになってしまいました。
赤ちゃんのような見た目を
奇跡的に保ち続けることにより
かわいいおじさんというものも
理論的にはありえるのですが、
かわいいおじさんは
かわいいおじさんであって、
おじさんこどもではありません。
外見についてそう呼んだ別の概念です。

(話は逸れるが、
内面的なことを言うと見せかけて
その基準が外見に置かれている
語というのがたくさんある。
草食系男子などが主たる例です。
本来は内面を言い表す語であるが
実際には内面の繊細さの話ではなくて、
「繊細そうな」外見について言う語です。
なぜかそうなってしまっている。
それと同じことで、
かわいいおじさんというのは
おじさんなのにかわいい趣味をしている人
ということと捉えられがちだし
使っているほうもそこが重要だと
自分で思い込んでいるものだが、
実際には、そういわれる人というのは
見た目が常人には不可能なほど
かわいいままおじさんになっているという、
生得的要素に支えられてこそ
ありえる存在である。
そのほかにも
包容力、清潔感、透明感などが
外見の婉曲的言い換えとして
用いられることが多い。
それらは生得的アドバンテージや
素養や教育、家庭環境など
後天的に選ぶことのできない因子が
絡んでくるものなのに、
あたかもその人の性格や素行を
後天的なもののように言って、
正しい言葉を使った気になるのが
人間なのである)

おじさんこどもというのは
守るべきものがじぶんの身ひとつで
自我の行き先をとうに見失い、
もう空中分解しか命の終わりかたのない
成人男性のことをいいます。

おじさんこどもは十代で始まります。
そのころはまだ実際こどもですから
外見と本質に乖離はありません。
しかしここで他者による正しい肯定と
本人による相応の研鑽が積まれなければ
おじさんこども化の一途を辿ります。

五本指ハムスター✌🏻🐹✌🏻