なにものでもないあなたたち

めまぐるしく、祝いと呪いが押し寄せ、私は私でしかないというあたりまえを思い知らせる花々。そしてあなたたちにもなぜか、からっぽであることを求めていることにも、あらためて気づく。すべての荷物を降ろしてから来てほしい。

私は私でしかない、しかもからっぽの。
「ぼくはぼくという容れものに入っているけれど、死んだらどこにいくの、という怖さ」
わかるけれど、あなたはもともと容れものでしかないんだよ。中身がじぶんで外みがわたし、そういうことではなく、それがあなた自身なのだよ、外みとしての脳があなた自身の意識を作っているのだよ。

ぼく、早死になのだとおもう。外みとしての私がじぶん自身なのである。脆く産みおとされたがために、じぶん自身もそのように脆弱なのである。

薔薇の花は、完全な生命の表現体である。望まれたとおりに生まれて、季節ごとに咲いたり枯れたりする。

薔薇は、としなかった、薔薇の花は、とした。要するに春くる毎に咲くひとつひとつの薔薇に、ひとつひとつの意識が宿っていると、そう勝手に考えているわけである。

薔薇は、といったらつまり、人間は、と言っているようなものです。ぼくは、あなたは、そういうレベルの話をしたいのです、花にも。

「行け、ピカチュウ! ってあれ、行け、犬! みたいなことなんでしょう、このあいだ初めて知った」
そうです、だからそうじゃなくて、薔薇じゃなくて、薔薇の花、この薔薇の花、今咲いている薔薇の花、そのように限定した言い方をしたい。

早死にで、からっぽで、希薄なわたしは、あなたたちにもからっぽでいてもらうことでしか、平和に笑いあえないような気がした。そんなわたしのことをわかって、あえてからっぽでいてくれるあなたたちのことが愛おしく、またじぶんをやましくもおもい、きみの人生はこれからだよトニーくん、もうとっくに終わったように思っていた道のりを一旦、振り返ったのでした。

五本指ハムスター✌🏻🐹✌🏻