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日本語学校エッセイ・番外編

これは、集英社文庫のサイトに全5回で連載した「今日も、日本語学校で」の番外編です。
「日本に外国人が来ること」「日本に外国人がいること」について、毎日のようにいろんな意見や記事を目にしますが、ここに書いた彼らはまさに「当事者」です。
またどこかで(ここでもいいのですが)日本語学校のこと、日本語を教えることについて書きたいです。

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夏休みの1日、初級の学生たちと昼ご飯を食べようということになった。
日本で生活し始めて2,3カ月の学生も多いクラス。聞くのも話すのもまだ十分とは言えない彼らが、普段どんなふうに過ごしているのか気になっていた。同じクラスを担当する同僚のW先生と相談し、日にちを決めて学生を誘った。
「みんな来るかなあ。時間と場所、分かってるかな」LINEでW先生と話す。
「来られないって言ってた人以外は、頷いてましたから多分大丈夫ですよ」とW先生。
早目に待ち合わせの駅へ行く。中国人の郭さん、韓国人の朴さんとベトナム人のホアンさんが既にいる。せんせーい! と庇の下で手を振っている。あー、来てた来てた、とほっとする。3人とも授業中とはちょっと違う表情だ。顔色もなんだか明るく見える。

郭さんは20代後半の既婚者だ。別のクラスに同郷の奥さんがいる。中国の美大を卒業し、日本の会社でアニメを作るという夢を叶えるため、2人で来日して学んでいる。
19歳の女子、朴さんはクラスで一番日本語が流暢だ。若者言葉もたくさん知っている。イラストが上手で、日本のコンテストに応募するための作品を描いている。
同じく19歳の、黒髪のきれいなホアンさんは、アルバイトと勉強を見事に両立させている。テストも毎回満点に近い。
「暑いですねー!」メキシコ人のフェルナンドさんが合流する。日本人の奥さんと子どもの3人で暮らしている30代のフェルナンドさんは、アパレル会社の社長でもある。勉強と仕事に加え子どもの送り迎えもしている彼は、毎朝4時起きでいくつもの役割をこなしている。

W先生が到着。30代前半、学生と年齢が近く、おしゃれで可愛らしいW先生のような日本語教師は、実はとても貴重だ。
「おー、みんな来てるね! あ、郭さん、髪切ったの? 奥さんに切ってもらったの?」
「いいえ、店へ行きました」
「いいね。ちゃんと日本語でオーダーしたんだね」
「はい……(と照れ笑い)」
「あーっ!!」
ホアンさんと朴さんが大きな声をあげる。ホームから降りてきた中国人の黄さんと周さんが、反対の改札に向かって歩いているのだ。
「黄さーん周さーん、こっちー!!」
飛び跳ねながら呼ぶが、2人とも気付かない。ホアンさんと朴さんはぴょんぴょんし続け、大声で呼び続ける。わたしとW先生は笑ってしまう。
やっと振り返る2人。笑いながらこちらへやって来る。クラスで一番シャイなアニメ好き男子黄さんと、元証券マンで料理がプロ並みにうまい周さん。黄さんも髪を切っていた。「どこで切ったの?」W先生が聞く。「あ、駅の近くの店で」「いくらだった?」「せん……八百円」「安いね!」
これで8人。あとは……「イリヤさん、来るって言ってました」と朴さん。
ロシア人男子のイリヤさんは、とても几帳面な性格だ。遅刻しそうなタイプではない。フェルナンドさんが連絡してくれる。「──イリヤさん、今起きました(と言っています)」
えーっ! とみんなで笑う。「じゃあ先に行ってましょう。フェルナンドさん、イリヤさんに地図を送ってあげてください」。
W先生を先頭に、蒸し暑い空気の中をガストへ向かう。

何を頼むかすぐに決められる人と決められない人がいる。そんな場面を見るだけでも、教室では分からない学生たちの一面を知ったような気持ちになる。
「日本語、少し早かったです」と周さんが言う。注文を取りに来た店員さんの話すスピードだ。「そうだね。少し早かったよね」と返す。ライスの量を伝える、少なめ、普通、多め、という言葉が分からなかった学生もいて、朴さんがサポートしていた。
ドリンクバーからそれぞれ飲み物を持ってくる。乾杯する。早速、という感じで朴さんがスマホの動画を見せてくれる。2日前、学校行事の温泉旅行で彼らは山梨に行っていたのだ。
曇っていて富士山は少ししか見えなかったこと、朝食の卵焼きが甘くてびっくりしたこと、温泉が広かったこと、宴会場でのカラオケ大会がすごかったこと。みんな口々に、それぞれの語彙で話してくれる。
「校長先生がお酒をたくさん飲みました」と言って、フェルナンドさんが踊る仕草をする。
「あー、ノリノリだったんだね」
「ノリノリ?」
「ノリノリはね、とても楽しいです、ダンスします、ノリノリです」と説明する。授業以外の場だからこそ伝えられる言葉もあるなあと思う。教科書にノリノリは載っていない。
「これから勉強するけど、ノリノリとかどきどきとか、日本語は2回言う言葉がとても多いんだよ」とW先生が言う。「好きなグループのコンサートへ行きます。わくわくします、とかね」。
ふうん、という表情。「たくさんありますか?」と周さん。「とてもたくさんあります」と言うと、みんなうえーという顔になる。積み上げ式の毎日の勉強がどれだけ大変かその顔で分かる。

注文したものが運ばれてくる。
パスタ、カツ煮、ソーセージのグリル、鶏のから揚げ。「韓国では一番年下が準備します」と言って、朴さんがひとりひとりの席に紙ナプキンとフォークと箸をセッティングしていく。
昔は外国の人が箸を使っていると「上手ですねえ」と言いたくなったけれど、今はそんな褒め言葉は揶揄なのではないかと思うくらい誰もが上手だ。でも、フェルナンドさんが左手にフォーク、右手に箸を持って器用に肉を食べているのを見て、言いそうになってしまった。とても食べやすそうなのだ。フェルナンドさんはいつの間にかビールも注文していた。みんなで再度乾杯する。それぞれの国の「乾杯」を順に言っていく。ガンベー。コンベ。サルー。ヨー。
服の通販サイトを持っているフェルナンドさんに「日本の服はどう? ユニクロとかで買いますか?」と聞いてみる。「はい、わたしは日本の服好きです。いつもXLです。ここ(と言って肩幅を示し)はいいですが、ここ(と言って袖を示す)が短いです」とのこと。「わたしはユニクロへよく行きます」と周さん。真面目な雰囲気の彼は、いつもファンキーな柄のTシャツを着ているのだ。そのギャップが面白い。
そうだ、彼には聞きたいことがあったのだ。証券会社のマネージャーだったら給料も良かっただろうに、なぜそんないい仕事を辞めて日本へ来たんだろう?
「日本に店を作りたいです。ミルクティーの」
「ミルクティー?」
中国にはミルクティーの店がたくさんあるのだそうだ。「タピオカの?」「タピオカもありますが、そうじゃないミルクティーもあります。中国人大好きです」
そうか、彼はビジネスをするために日本語を勉強しているのか。今日は来られなかったけど、周さんの奥さんの玲さんも同じクラスで日本語を学んでいる。2人で計画を立てているのかもしれない。アニメを作りたいという郭さんも含め、カップルで日本語学校に入学してくる人はわりといるのだ。

イリヤさんが来た。
透けるように白い肌の彼は、赤が好きだ。今日も赤いシャツに赤い短パン姿。学校では納得できるまで質問を投げかけてくる、手強い相手でもある。
クラスメイトとの交流はあまりないみたいだけれど、こうやって来てくれるということは、みんなと雑談することが嫌ではないということだろう。W先生と2人で「良かったね」と小さく言い合う。もう一度乾杯する。
「今日はたくさん日本語を話しています」と郭さんが言う。ホアンさんや黄さんが頷く。そうかもしれないと思う。日本に住んでいても、日常生活の中で彼らが日本語を話す機会は、実のところそんなになかったりするのだ。
今はスマホでなんでも調べられるし、買い物や外食だって最低限のやりとりで済んでしまうから、日本人と「自然に会話をする」チャンスは残念ながらほとんどない。
日本語である程度長く話さなければならないシチュエーションを考えると、たとえば電車の中に忘れ物をしたとか、引っ越し屋さんに見積もりを頼むなどの限られた場面しか思い浮かばない。携帯の契約だって、中国語や韓国語を話せる店員さんが今やたくさんいるのだし、込み入ったことを説明しなければならないときは、日本にいる彼らの国の同朋や先輩に頼むこともできる。
接客のアルバイトをしていれば、パターン化した会話をすることはできるけれど、ホアンさんに聞くと「仲間は全員ベトナム人。店長だけ日本人」、焼き肉店でバイトしている周さんも「店長と奥さんは日本人。バイト仲間は中国人」なのだそうで、バイト先で日本人の友だちを作る、という環境ではないらしい。
1年に何回か、学校で企画している大学生との交流会はある。でも、学校以外の場所で、同年代の日本人と身の回りのことや趣味のことを話す機会って、もしかして皆無なんだろうか?
イリヤさんは定期的に日本人と話しているというので「どこで?」と聞く。
「駅の近くのコミュニティハウスです」
「あ、それ知ってます」と朴さんが言う。「1カ月300円くらいで、いつ行ってもいいんです」。
へえ、そんなところがあるのか。「日本人って、どんな日本人?」「おばあさんです。3時間くらい話します」
おばあさんか……きっと、地域のボランティアの人なのだろう。いや、おばあさんでももちろんいいんだけど、できれば年の近い人と話すチャンスがあるといいと思うんだよね……。

ベトナム語の愛の告白は、男性が女性に言うのと女性が男性に言うのとでは表現が違うとか、韓国のかき氷は牛乳を凍らせたものを使っているから濃厚なんだとか、日本のおかずはすごく甘く感じるとか、モスクワの両替所でお金を替えたらなぜか2千円札ばかりもらったとか、日本のひとりカラオケはとてもいいシステムだとか、盆踊りに行ってみたいとか、それぞれの口からいろいろなトピックが飛び出し、あれこれ喋っていたら3時間が経っていた。
「じゃあ、アルバイトに行く人もいるから、そろそろ帰りましょうか。最後に、ひとつずつ日本語の目標を言いましょう」
W先生の締めの言葉に、えー、授業みたいですと声があがるが、「聞く勉強をがんばります」とか「日本語能力試験のN2(日本の大学や専門学校へ入れるくらいのレベル)を早く取りたいです」とか、みんな素直に口にする。
朴さんが「私は……」と言って、すこし間をとった。そしてこう言った。「自分の国より日本にいたいです。日本にいるほうが楽しい」。

生まれた国が居心地のいい場所だとは限らない。
「自分の国より日本にいるほうが楽しい」のは、おそらく、イリヤさんもそうなのではないかと勝手に思う。イリヤさんは、学校にロシア人学生もたくさんいるのにその輪には入らない。いつもどこか怪訝な表情で授業を受け「日本ですから、日本語を話します。ロシア語を話しません」ときっぱり言う。
勉強のために、というのもあるだろうけれど、多分彼は「大好きなマンガがたくさんある日本で暮らし、日本語で話す新しい自分」になりたいのだ。そのためにコミュニティハウスへ行ったりして努力しているのだ。
偉いと思う。そして、フレンドリーではないクラスメイトを排除しない学生たちも偉い。

「暑いねー」と外へ出てまた言い合う。
「先生、humidは日本語でなんですか?」とフェルナンドさん。
「蒸し暑い、と言います」
「むちあつい?」
「むしあつい、です。よく言いますから覚えるといいですよ。今日みたいな日は、むしあつい!」
むしあつい、むしあついと唱えながら、9人で縦長になって、帰った。

(文中の名前は仮名です)


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