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チームにおける創作の極意をカナダで知った

今から20年くらい前の話です。まだ自分が家庭用ビデオゲーム制作会社のディレクターをしていた時、カナダで仕事した時の話を書こうと思います。

始まり

事の始まりは自分が企画、ディレクションしたゲームソフトを少しバージョンアップして北米の会社から発売する事になり、自分がその北米の会社で打ち合わせをしに行かなくてはならなったのです。

自分は海外に行ったことも無く、行こうとも思わなったので正直とても嫌だなあ、怖いなあと思い怖気付いて、パスポートを取った時すらこの話流れないかなと思ったのです。勿論流れなかったのでカナダまで行ってきました😅

機内食をおかわりする女性

出発当日飛行機に乗ると自分の左の隣には、こういってはなんですが少々大き目の女性が乗っていました。離陸後しばらくして機内食が出されると彼女はこともあろうか機内食をもう一食おかわりしたのです!その上自分に話しかけてきたのです。

ほとんど英語は単語しかわからなかったのですが、彼女は19歳で故郷はカナダの山奥で、どこか他の国から帰ってくるところだという事がわかりました。ちなみにその時はバンクーバーの空港に向かっていたのですが、そこからさらに飛行機に乗り換えると言っていました。

19歳の女性が普通に世界を飛び回っている事に驚き、しかも知らぬ男性にフレンドリーに話をするのを見て、たかだか1国に行くのにビビってる場合じゃないなと肝が据わった事を覚えています。バンクーバーの空港で乗り換えていった彼女の後ろ姿がたくましすぎたのを覚えています。

打ち合わせ

さて、そんな感じで目的地に到着しホテルにチェックインした後早速打ち合わせに行きました。会議の出席者は北米のゲーム会社はディレクターとその上司(決定権あり)ともう一人、日本からは自分と日本版のゲームを販売した会社のプロデューサー、そして通訳の方です。

日本版のゲームを販売した会社のプロデューサーさんはよく海外へ行く事があるので英語ベラベラなのですが、間違いがあるとよくないので通訳の人も参加してもらいました。

そこで自分が北米版をどうするかをホワイトボードに絵を描きながら日本語で説明していると、北米のゲーム会社の人たちが通訳の人が翻訳する前に笑うようになっていきました。

決して悪い意味で笑われているわけでは無いのはわかりましたが、後で聞くと自分が身振り手振りオーバーアクションで一生懸命説明しているところが楽しかったようです。あまり日本人にいないと言われました。

そんな感じで特に問題無く終わり次回の打ち合わせは日本で行う事になりました。

会議で驚いた事

実はこの会議でひじょうに驚いた事がありました。他の業界はわかりませんが、少なくとも当時のその北米のゲーム会社での会議は参加する人全員がファーストネーム呼び捨てだったのです。肩書とか無いんです。

そのせいで忖度とかも無く異なる立場の人間がフェアに意見を交すわけです。その時海外はこういった会議を行ってゲームを作っているのであれば、日本のゲーム制作のやり方では勝てなくなるのではないかと思いました。事実そうなってしまったものが多いですね。

あとゲームに対する意識が日本人とは違う場所が多いという事も驚きました。例えば当時のゲーム機のスペックだとデータを読み込むのに時間がかかる事が多く、自分はなるべくその読み込みの時間を短縮するように作っていました。ところが彼らはゲームが面白くなるのであれば読み込み時間は長くても全く構わないというのです。

また、例えばローラースケートのレースゲームがあったとして、ガードレールの外に出られないとします。当時の日本人はこの先行けないのだなとわかってくれるのですが、北米の彼らはガードレールが飛び越えられるのに飛び超えられない事に納得がいかないのです。彼らのオープンワールド好きは最初からだったんだなあと今にして思います。

それと細かいところなんですが、キャラクターが転んだり障害物に当たったりした時痛がる動作が欲しいという事も言われました。そんな事考えた事も無かったです。てか何でそういう事が必要なのか今でもわかりません。

会議後の出会い

会議が終わりみんなで食事に行ったのですが、そこは車に乗って30分のゲレンデからロープウェーに乗った先にあるレストランでした。冬になるとその会社のスタッフは平日はこの辺りのゲレンデで、週末は山奥のゲレンデに行くと言っていました。素晴らしい環境です。

わりとお酒を飲んでしまったのですが、帰りのロープウェイで大学生らしき男女の集団の方々がいました。彼らはちょっと嫌な顔で「お酒臭くない?」と話ししていたので、自分が「すいません、僕たちです」と言ったら「日本語だーーー!!」と驚かれてみんなで笑ってしまい嫌な空気が無くなりました😀

他の国で日本人に会うと面白いという事もこの機会に知りました。

終わりに

最初は嫌で仕方がなかった海外用のゲーム制作ですが、今となっては変え難い経験をしたと思います。

チームで創作する場合はいかにフェアに意見出し合う事が大事なのか、体感した事が今の自分に大きく影響を与えています。またこういった発見がある仕事をしたいと思っています。

#創作にドラマあり

頑張ります!