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kumiko : 銀杏

秋も深まり、街の木々も葉を落とし始めました。

ことあるごとに思い出す、私の中に忘れられない木があります。

それは中学校の中庭にあった、とても大きな銀杏の木です。
アスファルトが貼られたところに一本だけ、昇降口の目の前にありました。毎日通る場所にいつもある、新緑の葉や黄葉した姿。はっきりとは思い出せないのですが、それは印象として私の中に現れます。

確か中学校3年生の時だと思いますが、中庭の掃除担当になりました。 秋、晩秋の頃、たくさんの黄色い葉を竹ぼうきで掃いて掃除しました。バラバラと落ちている葉を一箇所に集めて、黄色い山ができます。下がアスファルトだったので土で汚れることがなく、一枚一枚がとてもあざやかでした。空気を含んで舞い上がる葉の感覚。掃いても掃いても、紙吹雪のようにヒラヒラと舞い落ちる葉の美しさ。

ただ大きな銀杏の中に包まれていたような気がします。

銀杏と私。

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以前住んでいた家の近くに、玉川上水があり、そこに銀杏の木々に囲まれたぽっかりとひらけた空間がありました。

いちめん黄色一色。

幼稚園ぐらいの女の子たちが、銀杏の葉を拾い集め束にして遊んでいました。たくさん束ねると、葉は花びらに変わって黄色い大輪の花のようです。

幼稚園に上がる前の娘と一緒にそれを見ていて、とてもあたたかい気持ちになりました。
葉を踏みしめる足の感覚。ザッザという葉の擦れる音。
とてもなつかしい思い出です。今も変わらずその空間がありますように。


そして、今住んでいる家の前にも大きな銀杏があります。

街の銀杏より遅れて黄葉が始まるので、12月になっても全体が緑がかっています。
黄色く色づいてくると、お日様を浴びてかがやきます。
大地からのエネルギーを幹へ、幹から枝へ、枝から黄色い葉へ、そしてそれは同時に空へ。周りに光を放ちながら、冬に向かう前の一番かがやく時、やさしい光。

思い返せば、銀杏とは何かとつながりを感じています。
行くところ行くところに銀杏があって、見守ってくれているような、私が意識しているからなのかな。

安心できる大切な存在です。

○ イチョウ(学名 : Ginkgo biloba)

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