フラッシュモブ

妻と2人の娘たちが買い物をしている店に背を向け、両腕を柵の上に乗せて寄りかかりながらぼおっとしていると、吹き抜けの下からふいに「君の瞳に恋してる」のイントロが聞こえてきた。ボーイズ・タウン・ギャング。なんて懐かしい曲なんだ。思わず4階下の催事スペースを見下ろすと、曲に乗せて踊り始めた数人の客の姿が見えた。

若い女性とビジネスマン、そこに同じ制服を来た男女の学生が加わる。呼吸の合ったその動きが、いかにも無関係そうなそれぞれの身なりのわざとらしさを浮き彫りにしていく。周りの「通行人」たちがどんどんと合流し、ついには掃除道具を床に置いた清掃員や、風船を配っていたゆるキャラの着ぐるみまで踊り出した。最初の二人を頂点として出来上がっていく三角形の陣形の指す先には、噴水の前にちょこんと座った一人の女性の姿が見える。これはいわゆる、「サプライズ」というやつだ。正確には定かではないが、「なんとかモブ」というやつだろう。テレビかなにかで見たことがある。

曲がサビに差し掛かる寸前の間奏部分で、大勢に膨れ上がったダンサーたちの後ろから、顔はよく見えないものの純朴そうな出で立ちの青年が現われ、陣形の頂点に合流して踊りはじめた。素人目で、さらに遠目から見ても、当然ながら後ろのダンサーたちより遥かに動きがぎこちなく、それがまたたまらない。大学時代、妻との付き合いたての頃に流行った曲に乗せて懸命に踊る現代の青年の姿に当時の自分を重ねてしまい、こみ上げてくるものがあった。たまたま上の階から見ていただけだが、こうなるともう他人事ではなく、彼らの幸せを心から願う気持ちになっていた。そしてあの頃、妻を見つめていた時と同じ、期待と不安に満ちた瞳で、私は噴水の前にいる女性に視線を投げかけた。彼女はどう思ってくれているだろうか……。

踊っていた。彼氏よりも上手いんじゃないだろうか。サビの盛り上がりをさらに高めるような、素人目で、さらに遠目から見ても、キレのある踊りである。ダンサーを目指している学生さんか何かなんだろうか。それにしても、自分の中にあった「なんとかモブ」とはイメージが違う。そう思って彼氏のほうを見返すと、ダンサーが爆発的に増えていた。

円形の広場の中心から三角形を成していた陣形は、もはやその空間の半分を埋め尽くしていた。少し角度を変えて見てみると、それはもはや広場の外の売り場まで浸食している。こんなに雇えるものだろうか。素朴な疑問に逃げながら彼女のほうに視線を戻す。

増えていた。彼氏側で5割、彼女側で3割ほど、広場のほとんど、もしかしたら1階のフロアのほとんどがダンサーで埋め尽くされているのではないか。走行している間にも浸食は進み、もはやどこがダンスの中心なのかもよくわからなくなりつつある。そうして曲が2番のサビの前に差し掛かった時、私はさらに衝撃的なことに気がついた。いつの間にか、曲は自分がいるフロアからも聞こえてきていた。

振り返ると、アパレルブランドの店の中で妻と娘たちが店員とともに踊っていた。近づいて声をかけても、体を揺さぶっても、彼女たちは踊り続けた。いや、今やこのフロア全体、恐らくこのアウトレットモール全体がこうなっているのではないか。私が知ってる「フラッシュモブ」じゃない。あ、そうだ、「フラッシュモブ」だ。いや、それはどうでもいい。大体、曲が当然のように3番に突入してるが、私の記憶でははじめに流れたイントロは短く編集されたラジオエディット版のそれだったはずだ。いつの間にかフルバージョンになっている。いや、しかしそれももうどうでもいい。私はモール中のフラッシュモブたちの間を縫って1階まで降り、外の大駐車場に出た。

駐車した車のドアを開け放ち、カーステレオからは当然のように「君の瞳に恋してる」を一斉に大音量で流し、車の周りや、車体のボンネットやルーフに乗って踊るフラッシュモブたちを無視して、自分の車に乗り込んだ。エンジンをかけてギアをドライブに入れる。ああ、ダメだ。目の前で踊っている。人を轢かずに駐車場から出ることは不可能に近い。

私は仕方なく一旦モールに戻り、スポーツ用品店に代金を置いて自転車を1台拝借し、とにかく家へ向かった。フラッシュモブの広がりはとっくに私の移動速度を超えたようで、70kmほどある道中、曲はもはやフルバージョンを通り越して無限にループしてそこかしこで流れ続け、踊っていない者は一人もいなかった。家に辿り着き、まさかと思ってテレビを点けると、やはりどのチャンネルも同じだった。日本中に広がってると思っていいだろう。テレビを消しても両隣から聞こえる。とにかくこの曲から逃れたい、現時点で踊っていない人間を一目見たい一心で、ヘッドホンをしてワールドニュースのチャンネルを見ている内、あまりの疲労に意識が遠のいていった。

翌朝、ヘッドホンから大音量で聞こえてきた「君の瞳に恋してる」で目が覚めた。中東のキャスターがスタッフたちと軽快に踊っていた。

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