出会いはスローモーション

男は今日も今日とて、バイト先の倉庫へとちんたらママチャリをこいで向かっている最中だった。いつも通り環状道路をまっすぐ進んで、いつも通り国道との交差点で信号を渡ればもう倉庫は目の前だが、問題はいつも通り少しフライング気味に渡り始めたところに焦って右折してきた車がどんぴしゃで突っ込んできたことである。今までに、このタイミングで右折してくる車はなかった。その事実に慣れ切って、何の確認もせずに渡り始めたことに対する後悔が脳内に湧きあがった。ちなみに、およそ2秒後に彼は死ぬ。享年32歳。自動販売機に補充するジュースのケースをトラックに積んで950円の時給を得る、面白味の欠片もないバイトに向かう途中で車にはねられて死ぬ。しかし、まだ今、まさにこの刹那、男は生きている。大きな鉄の塊と、明らかに防御力ゼロの小汚いママチャリの衝突寸前、人生を通じてほとんどろくに研ぎ澄まされたことのない彼の集中力は極限まで研ぎ澄まされている。ここに至っていよいよ、自分は死ぬのかもしれないと思い始め、次に自分が童貞であったことを悔やみ、ついでに人生最後の自慰行為に、と言っても今朝だが、想いを馳せた。不摂生極まりない生活の中、久しぶりの見事な朝勃ちを披露した己が息子に驚き「なんかもったいないから」という理由で、オンタイマーで点いていたテレビに映るお天気おねえさんを見ながら想像をふくらませて布団の中でもぞもぞと。「あれが最後だとわかっていれば…」と男は思っている。わかっていればどうしたというのか。もはや車との距離は文字通りの紙一重。ここに至って脳細胞はさらに冴え渡る。人生最初で最後の明晰。極限の集中状態に置いて、本人はその集中を自覚できない。それが過ぎ去ったあとに振り返ってはじめてそれは自覚され、「ゾーン」などと呼称されたりするが、男の集中が終わった時、それを振り返る主体はもう存在しない。とにかく、冴えに冴えてる今この瞬間の男の脳は、感覚器官から送られて来る信号をかつてないほど的確に処理し始めている。ぼんやり生きてきた男のぼんやりした世界の解像度が急激に上がる。最新のデジタルリマスタリングを施されたかのように鮮明な視界は、もはや自分の皮膚に接触を始め、その致命的な運動エネルギーをかよわい人体に伝播せんとしている車体、それをあやつる人間、運転手、ようやく驚きに歪み始めたその表情、開き始めた口、そこに並ぶ歯の下の段の真中から右に二番目と三番目の間に挟まる赤い食べかすまでを捉え、同時にそれを紅ショウガであると断定、さらに奥の歯にくっついた青のりまでを捕捉し、1つの答えを導き出した。

“たこ焼き食べたのかな…?”

そう思った瞬間、男はママチャリとともに小さく宙に舞った。お好み焼や焼きそばなどの可能性を除外したことに根拠はない。単に好物だったのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?