祖母から学ぶ、昔の子育てのおおらかさ
生後2ヶ月半の我が子(通称:オコさん)を、90歳近くなる祖母、オコさんにとっては「ひいおばあちゃん」に会わせるべく、岐阜の山奥まで行ってきました。
祖母は定年まで保育士(どちらかと言うと「保母さん」の方があっている気がする)をしており、口も超絶達者。
最近は、年齢を重ねてか、空気を読まない遠慮のない発言も多く(失笑)、現代の育児に対してどんな爆弾発言をされるのか…と、ちょっとドキドキしながら連れて行ったのでした。
赤ちゃんは、やはり「かわいい」のである
オコさんに会った祖母の第一声は、
「か〜わ〜いぃ〜ねぇ〜(with 満面の笑み)」
でした。
私が子どもの頃は、兄(初孫・長男の長男)を溺愛していて、私のことなんかお構いなし、だったので、「優しいおばあちゃん」だった記憶がなく、祖母が笑顔で、しかもこんなに優しい声を出せるなんて…知りませんでした。
赤子のパワー、恐るべし!
ぷくぷくなのはいいこと、ではない?
ひとしきり抱っこ(with 私と夫がヒヤヒヤしながらサポート)をし終えると、突然、
「この子、今、何ヶ月?なんでこんなに大きいの?」
と、祖母。
もうすぐ3ヶ月だと伝えると、
「大きすぎるわ。昔の子は、もっと細かったよ。ミルク、どれだけ飲ませてるの?1日何回?」
と、質問責めに。汗
一回150mlを1日に5回程度、と伝えると
「これぐらいの子には110mlとか130mlでええ。でないと大きいだけで弱い子になってまう。母乳はあげてへんの?」
と、この先、つらつらと母乳論を唱えられたのでした。
私は ミルク8:2母乳 な感じで、それを変えるつもりもないので、祖母の母乳論は省略しますね。
祖母の言いたかったことは
「これぐらいの月齢の子は、あげればあげるだけ飲んでしまうから、少なめでいい」
と、いうことだと思われ、それは確かになぁ…と、思ったりもしたのでした。
抱っこはしなくて、いい?
しばらくして、泣いてぐずり出したオコさん。
いつもと違う場所だということもあり、咄嗟に抱っこをした私。
揺らすと泣き止むことが多いので、何も考えずに揺すった途端…
「揺らしたらあかん!頭、おかしくなってしまう!!こどもは寝かしとかなあかん!!!」
と、祖母。
続けて、
「いつもそんなに抱っこしとるの?」
「そんなに揺するの?」
「こどもは寝かしておくもんやぁ。寝かしておけば、そのうち寝る。」
「ちゃんと寝かしておかんと、夜、寝ぇへんよ。」
祖母に言われるがまま、座布団の上にオコさんを寝かせてみました。
この「寝かしとく」が、「眠らせる」ではなく、「横にする」ということらしく、ギャァギャァ泣き叫んでいても、ジッと観察している祖母。
「なんでこんなに泣くんやろね〜。」などとボソボソ言いながら、穏やかに眺めているのでした。
ジッと観察する祖母からわかったこと
泣き続けるオコさんを、ときどきお腹をぽんぽんする程度で、あとはひたすら観察する祖母。
5分…10分…15分が経過しても、全く態度が変わらない。
そう、ただただ穏やかに観察しているんです。
これ、ネントレ本に書いてあるし、私自身、それなりに実践してきたつもりだけど、祖母の姿を見て
「さすが昭和の保母さん…忍耐が違うわ…」
と脱帽。
30分ぐらい過ぎたあたりから、オコさんも泣き疲れたのか、ギャン泣きからマイルド泣きに変化。
そして、時々泣き止み、1時間ぐらいするとすやすやと眠りに落ちていきました。
ネントレ本に書いてあることって実は…
関西弁と尾張弁が混ざった独特な語り口と、どストレートな言い方はさておき、祖母は特段難しいことを言っているわけではありません。
ネントレ本にも似たようなことが書かれているけれど、これは(そもそも)子どもの習性みたいなもので、別に「トレーニング」なんてしなくてもいいのかもしれない…と、祖母がオコさんに接する様子を見て思いはじめました。
祖母は泣いているオコさんをみて、「何でかな?」と不思議がってはいたものの、「泣き止ませよう」という姿勢は一切なく、ニコニコと眺めるばかり。
私が勝手に、昔の育児の方が「抱っこ・おんぶ・母乳」に頼っていたんだろう…と思い込んでいたこともあり、まさかこんなに「泣かせて」「観察」していただなんて!と、目から鱗でした。
⚫︎⚫︎式、▲▲式…ネントレって色々あって、欧米の方が進んでいる(一方日本は…)、みたいな書かれ方をしていることが多かったので、それを鵜呑みにしていましたが、そんなこともないのかもしれません。
↓私が産前に読んだネントレ本の感想はこちら↓
まぁ、ギャン泣きする赤子の横で、ニコニコしていられるのは、よほど爆音に耐えられる鼓膜をお持ちか、耳が遠いか、相当な慣れか…だと思いますが(ちなみに祖母は、耳は遠くありません笑)。
都会の住環境のせいで、ネントレが必要になっているのかもしれない
祖母の家からの帰り道、夫がこんなことを言いました。
たしかに。
祖母の「寝かせて」「泣かせる」メソッドは、目から鱗だったものの、同じことを日常でできるかとなると、少々気が引けるのも事実。
マンション住まいなので、多少なりともご近所さんのことは気になるし、オコさんと2人きりの日中、私自身が耐えられるかも、ちょっと自信がない。
だから「抱っこしちゃう」し「泣き止ませよう」としてしまう。
今は名古屋に住んでいて、東京と比較すれば広い家に住めているけれど、これ、都内のマンションで育てるとなると、ご近所さんとの距離も、子どもとの距離も、もっと近いわけで。
想像するだけで、身構えてしまう…
肩身が狭い思いをしながら、必死に子育てをしている人たちがたくさんいるんだよな…と少ししんみりしてしまいました。
必死だからこそ、「寝かせて」「泣かせて」おけばよかった子育てが、できなくなり、ネントレ本が色々出る、なんて、ちょっと皮肉ですよね(あくまでも私の想像ですが)。
ちょっと「寝かせて」「泣かせて」わかったこと
祖母の家から帰宅したオコさん、その日の夜はぐっすりよく寝てくれました。
私も翌日から、日中はあまり抱き上げず、観察をしながら「寝かせて」「泣かせて」おくように努めています。
30分もギャン泣きされると、こちらの頭も痛くなってくるのですが、自然と寝ていってくれることも増えてきました。
そして、「ちょっと長すぎるんじゃないか?」というお昼寝をしても、夜もしっかり寝てくれる気がします。
そりゃ30分もギャン泣きすれば疲れるよね…
大人でもカラオケで30分絶叫すれば、息切れするもんな。
私の母はよく、
「私たちの頃とは育児の考え方が違う」
「今の子育てはわからない」
「だから口出ししない」
なんて言うんですが、これって私に怪訝な顔をされたくないだけなのかも。だって…
今の子育てが正しいなんて確証もない
母が笑いながら話していたのですが、私は「うつ伏せ」に寝かされて育てられました。
「今では考えられないけど、当時は頭の形を綺麗に…ってうつ伏せ寝、させてる人もいたのよ。」
けれど、話を聞いていると、気をつけていたこともあるようで、
「布団は硬めのものを選んでいた」
「枕はタオルで吐き戻しとかを吸わせるためだった」
「(夏だったから)掛け布団もしなかった」
などなど、うつ伏せ寝で窒息するリスクがあることは理解した上で、実践していたんですね。
ちゃんと、考えていたんだ(あ〜、よかった!)。
自分の頭で考えてから実践してみる
ネントレをはじめ、育児に関する情報が溢れているからこそ、考えることをやめてしまいがち。
祖母が我が子に接する様子を見て、世代に関わらず、色んな人に育児について聞いてみるもんだな、と考えを改めました。
中には、今では考えられないとんでもエピソードが出てくると思うけれど、それも含めて「考えて」、良さそうなことは実践すればいいし、共感できなければそっと置いておけばいいだけのこと。
そして何より、接し方・考え方は異なれども「誰もが子どもの健やかな成長を願っている」と思えば、おおらかな心持ちで育児ができるな、なんて思ったのでした。
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