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また来年

夏がきた。

海はずっとそこに波打っている、大きく、大きく、畝りをとらえていたら、

春のうたが聴こえた。

いつもと違う光景におどろいたり、眩しさに目をほそめたりしながら、生きててよかったなあとおもった。生きるというのはつまり、朝起きて、その日やるべきことをやって、夜になって、眠って、また起きて、という繰り返しのことで、そういうことを、いろんな感情とともに続けてきてよかった。

風が吹いて、ひかりに照らされて、音が吹かれて、声が輝いて、
つぎのこういう日のためにまた一日一日生きていく。

夏の昼間に、横濱の海に向かってうたわれるpredawnやsee the seaというのは、かけがえのない色に染まっていた。


こんなふうに、ふいに夏がきたので、女の子を可愛い可愛いと言って、今年初めてのかき氷と冷やし中華を食べて、よくよく眠った。
朝が来て、コーヒーを淹れて、かんかん照りの太陽に照らされて、また夏の真ん中へ飛びこんで、つかれて休んで、日の暮れる頃にもう一度繰りだした。

夕焼けにダイブするひとをみて、なつかしい大好きなうたをうたって、満月のしたで踊った。トーキョーナイトダイブ、真夏のヒーロー、この瞬間を生きられてよかった、この気持ちをわすれたくない、とかそういうことを思う暇もないほどの熱狂。

そこにふさわしい言葉がみつからないときは、両の拳を天に高く高く突き上げればいい、きっと隣のひともそうしてる、そういう空間に出会えた奇跡がうれしい、そういう空間を作ってくれたひとがいることがありがたい。


すきなひと、すきな景色、すきな体温、また来年もそこで会えるんだろうなあ、また会おうね、

満月の夜、これをもってわたしの夏はもうやりきりました。(完)