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秋はどこへ

なんだかあまりちからがでなくてまいった。

昼ころまで眠ってうごきだすのだけれど、なにをしてもいまいちたのしくない。どうしたことだろう。

土日の行きたかったところの半分も行けずじまい、もうすこし家がちかかったら実現しただろうか、、と考えても仕方のないことをぐるぐると考えて、
掃除や洗濯をどうにか片づけて、七尾旅人の「今夜、世界中のべニューで」を聴いている。

昨夜、旅する練習という本を読んでいたのだけれど、それがコロナ禍の話だったのもあってちょっと聴きたくなったのだな。これいいよ。しみるよ


秋をどう過ごそうかとぼんやり考えている。
こんどはyonige聴く。8年前の曲。(わたしのこころはまだ22歳くらいなのにあたまとからだは年を重ねていてこまる)


気がつけば読む本も観たい映画も観てるドラマも、誰かにすすめられたものばかりである。(音楽だけは自分の好みをまもっている)
自分はいったいどこに行ってしまったんだろう。さいきんよくわからなくなってる。

料理教室にいってちょっとだけ悲しくなったのは、ごはんをつくることがタスクになってしまったことで、好きだったはずなのに、わくわくしながらすきなように作っていたはずなのにこまった。
それから、おもしろいなとおもって興味をもっていたアーユルヴェーダが、学ぶべきことになってしまったことで、わたしはなにかを学びたいんじゃない、なんか面白そうだというものをふんわりと自分のなかにとりこんでいくことなのだとわかった。

身体をこわしたときに「からだのなみにのるレシピ」をひらいて涙がでてくることでなにかをたしかめていた、インスタライブを隣に流して眠ることが安心だった、それってきっと学びたいんじゃなくて何かに守られながら自分の世界に閉じこもるということを実現するための、すくわれるための手段だった、外の世界と内の世界を区切るためのおまじないみたいなものであって、体系立って学ぶには、わたしはすこしばかり日々に疲れすぎている。


こういうときに会いたい仲間がいて、でもちょっとだけ遠くに感じる。
忙しいことが邪魔している。こういう邪魔に逆らえないまま時間が経って、いつしか知らぬ間に自分を完全に忘れ去ってしまったらいやだなあとおもう。



つぎの木曜、8月1日に最終報告があって、報告のプレゼンをわたしが担当することになっていて、けっこう、いや、たぶんめちゃくちゃ緊張しているのである。なきそうだ。

終わったらアビヤンガして旅にでる。
それからチボリオーディオを買っちゃおうかな。