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いいチームとは、再会の炒飯、関心領域

0607
いつになく出社しているので、上司の顔も見飽きて、仕事上の精神論的な、ありがたい話的なものにも聞き飽きて、帰宅してチョコミントアイスを食べたところである。
なお先輩のほうはわりに爽やかな見た目をしているし優しいので、ありがたく目の保養である。

上司も先輩も家族の話をよくするのだけれど、いいなあと思わないこともなくて、人が結婚する理由には、羨ましい気持ちを満たすという部分も一定あるんだろうなあとぼんやり思う。

しかしながらやはり、いいなあとやりたいなあをごっちゃにしてはならぬ、というのが持論である。

美味しいものを食べるよりはできれば作りたくて、コストコよりはレンバイに、ユニクロよりは古着屋に、お台場よりはライブハウスに行きたいし、そういう自分でいたい、というかそういう自分がすきでもある。
(もちろんコストコに行くライフスタイルを否定するわけではない。特に家族のあるひとにとって、バルク買いできるコストコはきっとありがたい存在なのだ。こどももおとなも嬉しいお出かけ先はお台場かもしれないのだ)


さて今週は気難しいほうのお客さんとも結構喋ったし、だいぶこちらの理解も進んできたし、友だちと社食トゥギャザーしたし、がんばって資料作成したし、きゃぴきゃぴと仲通りランチを楽しんだし、今日は日本人7人対チェコ人1人のミーティングをみんなで乗り切ったし、その準備で忙しい先輩に代わってインタビューもしたし、今日のお疲れ鰻重が美味しかったし(場所はフードコート)、帰り際にいいチームですねと言いながら上司と別れたし、

まあよかったところはたくさんある。


0608
予定のない週末という予定だったのだが、数日前に一年ぶりに大学の同級生から連絡が来て3人でご飯に行くことに。

新卒で優良企業に就職して6年めを迎え、結婚したり同棲したりしている彼らから見るとわたしは独自路線に映るらしい。こっちからすれば君らのほうがよっぽど独特だわ。互いの仕事の話やらを適当にして解散、久しぶりに会うのも悪くないな、こうして誘ってくれてありがたい。

ちょっと面白いことがあって、
炒飯が運ばれてきたときに取り分け皿が自分のほうにあったので、「暇なのでよそいます」と言って取り分けていたのだが、ひとりが自分でやるからいいよ、と言うので1人分を残してその子に蓮華を渡した。

あれ?これ、まさに、わたしが車道側にまわられるのを断るのと同じじゃないかとハッとした。わたしも逆のことをやっていて、それをやられるのをやはりまた、断るひともいるということ。
一方でこのとき、「よそう」という行為をわたしはしたかったわけで、それであればきっと先輩も「車道側にまわる」という行為をしたいのかもしれなくて、そうだとしたら有難く優しさを受け取るのも優しさかな、と思った。われながらめんどくさい人間だけれど、この一件で結構スッキリした。ありがとう断ってくれて。


神保町へ行って棚本屋に小説類を搬入した後、ふたたび新宿三丁目へ戻り、ドンキの向かいにできてた古着屋やディスクユニオンでレコードを繰ってぶらぶらして帰宅。

デスクワーク暮らしやコンクリートジャングルにおいては、古着とレコードを繰っているときが一番生きている心地がして、この行為によって蘇ってくる自分の本来の性質というものがあると信じています。


0609
関心領域を観た。
映画好きのお友達に薦められてから気になっていたのだった。

この生活には犠牲を払う価値がある、とルドルフは言った。犠牲、という言葉の持つ幾重もの層。アウシュヴィッツの女王よ、と母親は高々と笑い、夫ルドルフを支える。収容所から聞こえる叫び声に酒を飲む女中、窓を覗いて怯む息子、夢の中で砂糖を配る娘、綺麗に保管される21世紀のアウシュヴィッツの痕跡。
どこにも着地しないまま、胸を抉るような問いだけを受け取って映画館を後にする。

わたしたちの今日が、何百万人もの罪なき命を犠牲にしてきた歴史の結果だということを忘れてはならない。
今年は反戦デモに行くと言いながら半年が過ぎた、均しい命が焼き尽くされているのに一体誰に何を言い訳できるだろう

オッペンハイマーも観ないまま。時間や心の余裕がなかった、余裕をつくろうともできないまま。

今起こっている戦争のことにも目を向けて、時間と心を割きたい。戒めとして。

ヘッダーは心を落ち着けるために食べたチョコバナナパフェ、サンマルクはパフェの店。むかし許せなかったコーンフレークも今ではいとおしい。