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人は失敗をするべき

世の中は格言や体験談であふれている。みんな誰かからパワーをもらいたいし、誰かや何かを支えに生きていきたい。私もそう。一人では生きていけない。

数ある体験談の中で、特に人気があるのは過去の失敗談であろう。失敗が勝ちとでも言わんばかりに、その経験から得るものは時には成功体験をも上回る。 

例えば旅行に行けばおいしい料理よりも激マズだった料理。いい買い物よりも掏られた財布のことが強く記憶に残ったりするし、当時は悔しいし悲しいし、嫌な思い出であったはずが、いつの間にか飲み会のネタとなり笑い話になっていたり。自分の失敗は誰かを励ましていたりする。

つまり、そういうこと。月並みな言葉だけど失敗をして強くなっていく。しかもその失敗って、誰が見ても失敗っていうわけではないんだよね。もちろん当事者は辛いし落ち込むわけだが、他人の失敗ってよそから見ると微笑ましかったり羨ましいことだったりすることもある。(…断定はしない)
なんというか、これが人間なんだよね。
何か行動をして、失敗をして、それを次に生かす。誰でもそうで、悲しいままの失敗はまだ生かし切れていない証拠。つまりチャンス。

こんなことを言っているけれど、「神様は乗り越えられる試練しか与えない」とか、「乗り越えられない壁はない」「明けない夜はない」だったりこういった類の格言が苦手だったりする。励ましの言葉であることは分かるんだけど、そんなことは知ったうえでへこんでいるわけでって偏屈に構えてしまう。

そんなときに役に立つのはやっぱり失敗経験。間違えてしまうのは自分だけじゃないってことを、友人や同僚、家族や恋人に肯定してもらえるだけで自然と強くなれたり。
一緒にネガティブでいるのが良いわけではないけれど、必ずしも明るい話だけが明るいところへ連れていってくれるとは限らない。

だからこそ、他人の失敗談をさも自分の体験談のようにしてしまうのは良くない。誰もがする失敗もあれば希少な失敗もある。
それは自分が体験して初めて自分のものにあるのであって、他人の経験は一生かかっても自分のものにはならない。もちろん中には人の失敗を効率よく吸収して、まるで自分のもののようにうまく活用する人もいるだろうがそんな人は極めて稀である。

なぜなら大多数が、恐れるあまりに次の行動に移せなくなってしまうから。だってだから人の経験談を見ているんだよね。怖くて、失敗しないように気を付けようって思うから。その結果、どんどん窮屈になって動けなくなってしまう。だから強く構えているように見えてもその実態は薄っぺらだったりする。

あらゆる情報が飛び交ったコロナ渦でも言われているように、
正しく恐れるのが大切であって、失敗を恐れるあまりになにも手を付けられなくなってしまうのは本末転倒である。ただただ、もったいない。

同じ失敗を繰り返ししてしまうこともあるけれど、それは失敗をしてしまう自分が悪いのではない。失敗した後の反省の仕方が悪いのだ。振り返り方を変えてみよう。罪を憎んで人を憎まず。

常識やマナー、暗黙の了解と言われていることが山ほどあって、社会ってすでにいろんなしがらみに囚われていたりするから、ルールを守ったうえで、自分が思うことはとりあえずやってみていいと思う。
やるもやらないも自己責任と言われる時代だから、年齢とか国籍とか学歴とか、気にしているのは案外自分といま自分の周りにいる人だけだったりする。環境を変えると意外と居心地の良い環境に流れ着いたりするかも。

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トップの写真は夏、白川郷で撮影。




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