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TONBIYA WORKSの紹介

会社員時代に感じた「?」

京都の広告代理店にカメラマンとして勤務し、その後、全国の伝統工芸品を百貨店などに卸す老舗企業で企画開発を担当しました。
その中で、「日本の森林面積が多いのに国産材の浸透率の低さはなぜか?」と疑問を抱きました。

調べてみると昨今におけるにはたくさんの課題があることがわかりました。
昭和35年以降輸入材の供給量が増えるにあたって国産材の供給量が減ってきました。国産材売れなくなってしまっていたんです。
木材が売れないということは、林業が経営として成り立たないということ。実際に山里では兼業で林業をされている方がほとんどです。

一本の木が製材となるには、植林から50年かかると言われています。その間も手入れをしなければ、よい製材にはなりません。
手入れをした製材は当然、正当な価格では、輸入材より高くなります。
製材の主な市場である住宅建築業界では、ビルの高層化によって鉄骨建て中心になったり、一般住宅が西洋化することによって見えるところに木材を使わなくなったりすることで、安い輸入材に市場を奪われていきました。

林業には、森林を管理し育てるという役割があります。ここ近年では、気候変動によって土砂災害の被害拡大の背景に整備されていない森林があるとも言われています。

木の世界に飛び込んでみよう

山と私たちの生活にはとても深いつながりがあります。昔、海外の人は「日本人は木と紙の家に住んでいる」と言われるほど暮らしの中に木がありました。
和室には床の間があり、化粧柱など自然の木の美しさをインテリアに取り入れたり、草木や書を飾ったり、欄間や雪見窓など暮らしの中に美を楽しむ余裕が日本人にはありました。
質素な暮らしでもひと間あれば、寝室にも客間にも変わる日常からハレの日を彩ることができる住まいや道具を大切にする背景も。

今は、暮らしの中の木が遠くに感じます。プラスチックのお椀やお箸、ステンレスのスツール、大黒柱がいらない建築様式。物の豊かさと心の豊かさが反比例しているのかもしれません。

林業が衰退していくのを肌で感じる中で、「このままでいいのだろうか」という漠然とした不安が襲いました。自分達の未来はこのままでいいのだろうかと・・・。
山と人間はとても深い繋がりがあるのに、現在の生活は、どんどん林業を衰退する方向に後押しをしているような気がするのです。

いろいろ調べる中で、国の政策と林業の現在の体制、製材から消費者に届くまでに様々なところでバランスがうまく取れていないなど、課題が多いこともわかってきました。

「自分に何ができるのだろう」

そう思っていた時に大館の曲げわっぱに出会いました。秋田杉を使って木肌と整った木目をいかし、山桜の皮で縫い上げる曲げわっぱは、弁当箱など日常の中で使われています。

いろいろと伝統工芸品を勉強していた中で、右肩上がりで前進し続けている伝統的な生活の道具は、その当時、漠然とした不安に対して曲げわっぱに光を感じ、一度、自分で中に入って動いてみようと思い、使う人ともに林業の背景も発信して、ともに成長できる商材なのではと感じたのです。そして曲げわっぱの伝統工芸士のもとで修行をすることになりました。

曲げわっぱの世界

大館の曲げわっぱの技術は、昭和55年に国の伝統工芸品として指定を受けています。
使い込むほどに味がでる曲げわっぱは、1500年以上製法を変えず作られてきた伝統に魅了され、退社したのち曲げわっぱの師匠に弟子入りしました。

曲げわっぱといえば、弁当箱をイメージする方が多いのではないでしょうか。
弁当箱以外にも汁物を入れる器や神事などで使う道具などにも曲げわっぱの技術が使われています。

杉の木には殺菌効果があり、表面に無数の小さな穴があり、発酵する際に必要な微生物が住み着いています。わずかに空気を通したり水分を溜め込んだりとまるで木が呼吸をするかのように微生物が活動しやすい環境をつくっているのです。

1500年以上ものあいだほとんど製法が変わらないということは、先人たちがいろいろ試した結果の最適解が現在の製法ということになります。すごくシンプルだからこそ、そこにたくさんの技があるだと気づかされます。

最近では、お盆やインテリア用品、アクセサリーなどのアイテムが作られています。
私もボトルスタンドや卓上ミラーなど新しい曲げわっぱの可能性を開くために、様々な商品作りに挑戦しています。

奈良の山里と都会を結ぶ
暮らしの中に息づく木のアイテムたちを増やすことは、生活の中に木を感じない現代の人たちに身近に木のある暮らしを感じていただくきっかけになると思っています。

私の育った奈良には「吉野」というブランド材で有名な地域があります。この吉野の地域での人口植林の歴史は古く、文献では500年ほど前の室町時代まで遡ることができ、人口植林の文化は3代、4代先まで見据えて切っては植えることを繰り返してきました。吉野地方の植林は、土倉庄三郎という山林地主が「土倉式造林法」という苗木を密集して植え、丁寧に育成し、優れた木材を生産するやり方を確立しました。また、「山守」という制度があり、山林の所有者と山の手入れをする人をわけることで、地域の人たちが定期的に収入を得ることができ、山が守られてくという仕組みが作られています。

この吉野でも林業や木材業を営む人々の経営は厳しい状況になりつつあり、後継者も不足していることもあり、作業員や山守の高齢化が進んでいます。

木が売れることは、その地域の人たちの生活を守り、山の自然を守り、私たちの生活を守ることにもつながります。

私は、生まれ育った奈良の山里に一人でも関心をもってもらうように奈良の杉やひのきを使ったアイテムを作っています。

使っていただくTONBIYA WORKSのアイテムをきっかけに、一人でも多くの人に少しでも奈良の山里に関心を持ってもらうきっかけになればと考えています。

そして、同じような想いを持つ人と繋がっていきたいなと想っています。

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