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【エッセイ】 寝て起きて寝ては起きてのひぐらしの
寝て起きて寝ては起きてのひぐらしの
そんな詩句のかけらが頭を掠めたのは、昼日中のうだるような暑気の抜けない七月の夜、会社の付き合いでの飲みのあとにいささか白く火照るような視界を抱えながら、駅の階段を下ろうと、一歩、足を下ろしたそのときのことだった。
新しい環境に移ってから、はやくも二ヶ月あまりが経つ。特にこれといって書けるようなことはない。ただ日々、追われている。ただ日々、くたびれている。
いかんせん、これまでとまったく異なる業種への転職ということもあって、なかなか新しい環境に適応できない。転職活動に勤しんでいたときの浮き足だった前向きさも所詮はひとときの祭りに過ぎなかったとばかりにすでに遠のいて、馴染み深い鬱屈や、惨めさのうちに囲われていることも増えた。
一方で、その苦労の対価として支払われる月々の給料に、ほっと息をついている自分もいる。実のところ、この転職活動へと急遽舵を切ったこの春頃には、金銭的にもそれなりに危うくなっていたので、それに纏わるストレスから一応であれ逃れられたのは、大きな救いだった。そうして美味しい酒の飲めるお店を探し、かねてから発売を待ち侘びていたゲームの新作やグッズを買い、ちょっとした遠出に飛び出してみたりもする。今はとてもそんな余裕もないものの、いずれお金が貯まったら、とさまざまなの旅行や暮らしに、想像を巡らせてみたりもする。
自由と不自由、希望と失望、楽天と悲観。そのともどもが表裏一体となりながら、夕時の雲をあかく染める日明かりのように、静かに、ゆるやかに降りそそぎ、されどそのすべてを何か、他人事のように眺めている自分もいる。
新しい職場の近くには、西日のよく見える坂道がある。帰るときにはたいてい、わたしはそれを眺めて、一日の終わりを深呼吸する。そしてひとときの解放と、明日の憂鬱へと思いを馳せる。
寝ても覚めても、寝ても覚めても、日々は終わらない。日ごとにさまざまの夕映えの姿を眺めながら、さまざまの心の紋様を抱えながら、それでも日々はわたしのもの思いとは関わりなしに繰り返されて、劇的な変化だとか、解決だとかいうものはまずもって訪れず、道に沿って植わる街路樹は、どこか病んだように幹を捩らせているその姿を、果てもなく反復している。
それなりに嫌だと思う。何とかやっていけると思う。その積み重ねのかたわらに、まるきり他人の顔をして横たわっているものは、ほんとうはいったい誰なのだろう。寝て起きて、寝ては起きては、日々の暮らしを繋いでいるものは、ほんとうはいったい誰なのだろう。
きれぎれの、玉の緒。
綴りかけた歌のつづきにはそんな言葉を置きかけて、けれどもそのさきの響きが聞こえてくる兆しは、まだ訪れないらしい。
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