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ちいさな死


 蝶々が飛んでいるなあと、ぼおっと眺めていた。春の昼下がりのことだ。狂ったように咲きむらがる躑躅の花びらを目で追いながら、意識はもっと遠くへ向かっている。
 あすこの広場に、戯れている少女たちがいる。きらきらしく水を噴きあげる人工池のへりに通学鞄を預けて、ひらひらと長い髪やスカートやの影が震えている。面差しは逆光に隠れて見えない。ときおり、なにかの加減できゃらきゃらとはしゃぐような声が届く。衆目など意にも介さないで、ふたりきりの世界にいつまでもひたりきっている。
 長い昼の暇を潰すための散歩の途中で、ベンチに衰えた体を落ち着けてから、どれほどの時間が過ぎたのかももう定かではない。少女たちも、気づいたときには植え込みと芝とを挟んださきの噴水広場に現れていて、もうしばらくは消えてくれそうにもない。絨毯のような雲の切れ目から日が覗けばほんのりと肩口から赤く染まり、翳ればまた青く沈みこんでいく。しきりと両の手が胸の高さに踊りあがり、かと思うと髪をいじって、また太腿のわきに無造作に落ちていく。ふたつのこうべは何度もふれうごいて、ずいぶん熱心に話こんでいるらしい。はっとするほどの距離に近づいたかと思うと、次の瞬間にはもうめいめいに笑いころげていることもある。
 しかし甲高く、かしましいはずのその笑い声は妙に静かでもあった。公園の敷地を満たす緑に、躑躅のべに色に、気まぐれな日明かりのうつろいにまぎれて、二人の姿もろともあっけなくかき消えてしまいそうだ。目をほんのひととき閉じて、またひらいて、忽然とそこにだれもいなくなったとして驚くものはひとりとしていないのではなか。ちょうど噴水のそばでテリア犬の頭を撫でている子どもも、そのリードの持ち主も、少しだけ離れたところを駆けていくランナーも、ふたりがまるで魔法のように視界の隅から消えてしまったとして、消えてしまったということにも、そもふたりがそこにいたということにさえ気がつかないのではないか。それでいて、苛立ちたくなるほどに賑やかだったふたりの声の名残を青い風の、水しぶきの騒ぎの合間に、そうと知らず聞きつづけている。
 それほどにふたりの姿はあたりの風景に埋もれ、自然の奥深くにとけきっていた。それを蝶々のようだと、ずっと眺めつづけていた。
 わたしは半ば微睡んでいたのだろう。手や足の指先はじわりとした熱を帯びたまま投げ出されて、動かそうと思えば動かせるはずなのに、まるでわたしの支配から切り離された物体と化してしまったかのように力が入らない。わたしのものでない熱の塊がそこにはある。なのにまだそれは「わたし」なのだと、言葉もなく訴えかけてきている。目を瞑れば公園の景色も少女たちの姿もたちまちに失せて、果てしのないざわめきが後に残される。枝や、水のさやぎに混じり、ひとの声も、どれが誰のものであるかの境もなくして絡みあいながら、滔々と響きつづけている。きっと今日は、春の訪れ、もう駄目かもしれない。あたし、あの子のこと好きになっちゃったかもしんない。
 どっと笑いがはじける。教室の片隅から思わず少女たちの群がりの方へと視線をやって、それが他愛のないものだと分かると、すぐに目の前の席に腰かけたまま、そっと俯きこむ同級生の方へと意識を戻す。そう、と答えると、うん、と声が返った。そっか、と返すと、今度は何も返らなかった。
 ついで、泣き叫ぶ声がした。日の暮れがかる入江でローファーを脱ぎ捨て、長い髪を海風の勢いに任せて暴れさせる少女のことを、夢の中の出来事のようだと訝しんで、現に夢を見ているところだったろうとうち捨てる。少女は自分もよく見馴染んだセーラー式の制服を着ていた。表情も伺えないほどに離れた場所に立ちつくして、本当に泣いているのか、ただ気紛れに映画なりを模し、夕日に向かって叫んでみているだけなのかも分からない。あの少女もわたしだった、と夢の中のわたしが道理のない得心をしかけて、ではいまここで、ベンチに座りこんでいるわたしは何なのだと不条理な疑念があらわれかかる。
 ひとを殺めてしまったこともあっただろうか。暗い暗い空き地で、刃を長く飛びださせたカッターを握りしめたまま、ひとりきりで震えていた。たったいま、ひとりになってしまった。スカートの下で剥きだしの膝小僧に泣き濡れたような草葉がひややかにふれて、いや、殺されたのはわたしの方であったかしらん。すると暗闇のなかにぽっかりとあの同級生の、けれどもはやどの同級生であったのかも定かでなくなった白い顔が浮かびあがる。
 あなたのことが好きになってしまったの、と誰かが囁きかけた。それにうん、と答えてから、わたしの世界からは誰もかれもがいなくなった。肉親も犬も、教師も幼馴染も、名前も分からぬ同級生たちも、どこかでちょうどわたしと同じように、何もない机に俯きこむばかりの時間を繰りかえしている若い生徒も、わたし自身でさえも。そしてわたしは遠くに、いなくなったはずのわたし自身のまぼろしをぼんやりと眺めている。まるではばたいているようだ。白い、いまに日の光に溶けおちてしまいそうな紋白蝶のようだ、と眺めているうちに十年が過ぎ、蝶はふえたりへったりしながら、また二十年が、三十年が、五十年が流れていく。
 目をひらくと、少女たちは飽きもせずに笑ったり、震えたりしながら話しこんでいる。あれもいつかにはわたしだった、と呟いたところで、ふとからだが軽くなっていることに気がついた。熱ぼったかった指の腹までもがくっきりと澄み、いまならば時も忘れて、どこまでも歩いてゆけそうだ。
 やがて空になったベンチに、青葉のにおいをたっぷりと含んだ風が吹きつける。あなたが、そこにいたの、と声がして、けれど応えはどこからも返らない。
 まだかしこには、蝶たちが無心にはばたいている。


2020.5.6 

(百合というお題のもとの小文・あるいは刻々の永劫のひとつについて)

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