冬の雨の温泉街、交互に頬張る温泉饅頭
出会った日に趣味が共通していることを知った私たちは、寒い季節の到来と共に前のめり気味にスノボ旅行の約束をした。
ぽつぽつと雨が降り出した明け方4時、天気予報も積雪情報も見ないふりをして、約束どおり君は私を迎えに来た。
アパートの前に乗り付けられた小さな車の後方に、ふたりパズルでもするかのようにああでもないこうでもないと唸りながら板とウェアとボストンバッグを突っ込んで、近所迷惑にならぬよう静かにバックドアを閉じ、雨に濡れぬよう慌てて車に乗り込んだ。助手席と運転席で顔を見合わせて、くすくす笑いながら暗闇に乗じてキスをして、そっと車を発進させたのが3時間と少し前。
シーズン序盤のスキー場、雪が降るには寒さの足りない冬、降りしきる雨。
『積雪量が少ないため、本日ゲレンデは一部コースのみの営業とさせていただきます。』
駐車場に掲示された「お知らせ」と山の中腹まで泥と草が広がるコースに目をやって、まぁ、そうですよね、と、いたずらっぽく君が笑う。私がつられて笑うのを確認して君はサイドブレーキを解除しアクセルを優しく踏み込んだ。
宿泊場所である温泉街に向かう途中のコンビニに車を止める。
ちょっと待ってて、と車を降りて小走りで店内に向かう姿を目で追う。フロントガラスに叩きつける雨粒越しに、顎に手を当て首を傾げながら傘を選んでいるのが見える。戻ってきたその手には、おそらく陳列されていた中で一番大きなしっかりしたつくりの黒い傘。そこで一番安い透明ビニール傘を選ばないのが君らしい。
朝8時前、雨の温泉街に人影はない。
木造建築が立ち並ぶ観光客のいない路地をひとつの傘にふたりで入り雨に打たれながら歩くのは、現実味がなくフィクションの世界に入ってしまったかのようだった。
みぞれ混じりの雨が傘を打つ。
黒い傘布にふたりの白い息が溜まる。
ちらりと盗み見た横顔の、すっと通った鼻筋が赤くなっている。
冬のコート越しでは互いの体温も伝わらない。染みこむような寒さに心もとなくなってきたところに、少し先の店先から蒸気が立ち昇っているのが見えた。
饅頭屋の女将と、寒いですね、えぇ、本当に寒いですね、と言葉を交わし、君が財布をごそごそしまう横で私が饅頭を受け取る。
饅頭屋を背に歩みを進めるとあたりはやはり人がいなくて、木造建築が立ち並ぶ路地、雨が打ちつける傘の下、ふたたび世界はふたりと饅頭ひとつ、主人公以外を描き忘れた小説の世界になる。
私の右側と君の左側、ぴったりとくっついた姿勢でゆっくり歩く。
ゆっくりと冷えていく温泉饅頭。先どうぞ、と言われてかじったばかりの饅頭を、私の左手で君の口に運ぶ。君が饅頭をかじってすぐ、今度は私が饅頭をかじる。そこに残るかすかな唇の温もりを探すように饅頭をかじりあう。
最後のひと口を含む私に君が言う。
「ねぇ、そろそろちゃんと顔が見たい。ずっと運転してたし、ずっと並んで歩いてる。」
黒くて大きい傘に隠れるようにして君は私に口づけをした。
とっくに熱を失ったはずの饅頭が、口いっぱいに熱く溶けた。
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#文脈メシ妄想選手権 応募作です。
『職場のお土産でもらう温泉饅頭』と『寒い冬の雨の中、ひとつ傘のしたで交互にかじりあう温泉饅頭』では熱さが違いますね。前者は冷めきってますからね。
ちなみに妄想と実話のブレンドです。
配合比率は企業秘密。
♡を押すと小動物が出ます。