第12回 #呑みながら書きました やります
第12回のみ永田書きました、とうとう12回、開催回数が1ダースの大台に乗りました。おめでとうおめでとう、参加してくれてるみんなおめでと〜!わたしもおめでt〜!
2019年9月に森永製菓のDARSを開封して、開催ごとに一粒ずつ食べて、ようやく1パック完食したところですね。そう考えるとDARS長持ちするね。
第12回 #呑みながら書きました
あい、今日のおともです。
ZINFANDERU、ジンファンデルです。カリフォルニアワインを呑むようになってから、ジンファンデルばかりノンd寝るんですけど、このあいだ久しぶりにキャンティクラシコ飲んだんですよ、イタリアの。そしたら水みたいにガブガブ呑めるでやんの。
「ジンファンデルばかり呑んでたら、キャンティクラシコが薄く感じる」って夫に言ったら「お酒を濃い薄いで語るのをやめなさい」とたしなめらえました、滅多なことでは人に「やめなさい」と言わない夫がですよ、「やめなさい」っつったんですよ、どうもすみません。ちなみに水観たいってのは馬鹿にしてるんじゃないのよ、お食事中に呑むなら水観たいなワインのほうがゴハンのじゃマンにならなくていいよね。キャンティクラシコも美味しいよ。
さてさて。
noteね、自分でびっくりしたんだけど、第11回の告知から今までの間に、私ね、noteを4本しか書いてなかったの。うち1本は前回の呑み書き参加作だから純粋にnotえ書いたの3ヶ月dえ3本。
なんでかというのは自分でわかってるんよ。note書くのがつまんなくなっちゃってたから。つまんないなーと思って書かんかった。さて、なぜつまらなくなってたかよね。
最初はメンタルやられて感受性が低くなってるんかなー、ぐらいに思ってたのね。物事をおもしろいと思えないメンタルになっちゃってるんだろうなー私が、と思ってたの。で、note書くのやめて、心が動くようなことを意識的にしよか、と考えてしばらく過ごしてた。
ぼーっと海みたりとか、本屋や図書館で本をながめたりとか、アメリカエンタメの本気がつまった映画を映画館でみたりとか、ヒットチャートにずらーっと並ぶ音楽を片っ端かあら聴いてみたりとか、ジャンプ+読み漁ったりとか。
ちゃんとおもしろかった。ちゃんとおもしろかったんだよね、いろんなものが。私のメンタルはおかしくなかったみたい。
で、いろいろおもしろいものをみた結果、noteのなにがおもしろくないのかがはっきりとわかった。
創作って海みたいなもんやと思うねん。海みてて思ったんやけどさ。
海って、いろんな面を持ってるやん。海面から新開迄、深海まで、いろんな生き物がいて、水温とか水深とか海流とか場所によってさまあまで、穏やかで美しくて癒される面もあるし、荒々しくて人を傷つけて殺す側面もあるし、もういろいろ。
ここしばらくの創作(note)の海、開発されてるとこばっかりフォーカスされててつまんないんやわ。「つまんない」の原因それ。
食ってくために漁港や輸出港は非強い出し、必要、必要だし。安心安全、旅慣れてない人にも手軽に、時間がない人にもぱっと見でテンション上がるように整備されたリゾートも必要な人がいるってのは理解できるし、それはわかる。それはわかるが。それだけだと海が瘦せ細っちゃわないかな、と思うのよ。海の可能せい狭めちゃってるんじゃない??海を殺しちゃってない???って。そんな、誰かが作った予定調和の場所ばかりだとおなかが空かない??
きれいな海がある、生き物のあつまる浜辺がある、よっしゃ開発だ。で、いいのかしら。
一見、きれいな言葉で生き物の住みよい海を作りますってきれいな理念をかかげてたりもするんだけどさ、その理念に共感して集まった人に手弁当で生態系を育てさせてるように見える。で、魚が増えたところでガッサーと獲られるんじゃないかって怖さがある。あれ、理念どうした?って感じの
海のたとえわかりにくいな、レストランの話をしよう。
美味しいごわんを食べたいんです。そう思って友達とレストランに入ったら、一見雰囲気の良いレストランなんだけど何かが変¥。
気づかなければそこまで気にならないんだけど、気づくと気になってしかたがない。料理を運んできたウェイターはお店と料理のストーリーを熱心に演説する。メニュー表は自然体に見えるのだけれど、カトラリーにはスポンサー企業の刻印がされているし、すみずみまで、箸袋にまで広告が入ってる。料理の味がわからん。って
余計わかんなくなった気がするー!わはは!
ちょっとこのへんは仕切り直して個人的に呑み書き本番で書くことにしお。
つーかさ、noteやってる人に聞きたいのよ。
「人の心を動かしたい」とのたまう前にさ、己の心は動いてんのかってのを聞きたい。創作で生きていきたい、人の心を動かして、人を救うような作品を世に出したい、結構です、結構なことです。でもさ、そういう志を掲げている人にかぎってハウツーとか方法論とかにすがってるように見えるんだよ。どうしたら読まれるようになるんだろう、どうしたら売れるんだろう、書籍化できるんだろう。そこに、あんたの心が動く何かはあるのか?自分が何に心動かされるかを知らずして人のこrころを動かせるわけがなくない????
「人間であること」が最初だと思うんよ。創作の神は最初に「人間であること」を作りたもうた・
「人間であること」→「自分が人間であるゆえに湧く感情と事象を捉えること」→「心からこぼれ出す感情を捕まえて創作に落とし込むこと」→「成果物を売りたい方向に合わせてチューニングすること」順番としてはこうでしょ、ちがう?
人間であることを見失わないでよ、人間であること自体が一番面白いんだから。
人間であるために呑み書きを使ってよ。
呑み書きで集まってくれた人を金に換えることはしないよ。これは約束する。私は呑み書きを金銭につなげるんじゃなくて、豊かな創作が生まれる土にしたい。
私はお金稼ぎに関してはシビアで、創作以外の手段、私の場合はテクノロジー関連のスキルを持ってるから、そっちで金銭を得る方が簡単だし、心を削らずに多額の金銭を得られて効率が良いと思ってる。承認欲求も違うルートで満たされてるし、自己顕示欲もいつだって満たせてる。海でたとえるとお金持ちが土地買い取って、私有地にして自然を保護するみたいなもん、別に金持ちじゃないけど、どうしてもnoteで稼がなきゃいけないって事情は私には無いから。
noteも営利企業だからユーザーに稼いでもらわなきゃ困るってのあるかもしれないけど、それなら「創作」の看板下ろしてお金を強調したらいいと思うのよ。noteは「創作」のプラットフォームで、安く使えるクリエイティブ職下請け農場じゃないとまだ思ってていいんだよね?
それに、「遊びです」とふれまわって人を集めながら集まってきた人おw金に換えようとするのときどき見かけるけど、そういうのめちゃくちゃ嫌いだから私は。最初からお前らをお金に変えるつもりですって宣言しないとフェアじゃない気がする。
noteでの創作はもっと違うものを得るための手段にしたいんよ。すでに創作で、大事なものを得てるんよ。だからnoteで集まってくれた人をやすやすとお金や承認や自己顕示には換えない。ここは守る。呑み書きであそぼ。本気であそぼ。
あ、注釈いれておくと、これはnoteで稼ぎたい人、稼いでいる人は呑み書きに参加しないでっていう意味じゃないから。普通に参加して!
インターネットが主戦場のライターさんとか、フォロワー相手にスモールビジネスを展開する人とか、いろいろいるけれど、今までどおり普通に呑み書きに参加してくれると嬉しい。稼いでるのはすごいよ。お金は大事よ。でも、お金とかしがらみとかあるけれど、呑み書きでは忘れて「一人の人間として」参加してほしい。
ここはいろんな事情を抱えた人も事情もなんもない人も、ただの「人間でいられる」場所でありたい。「人間の人間んいよる人間のための場所」なん、なんなん突然のゲティスバーグ宣言。
わーーー、いっぱい書いたな。告知やっちゅうねん書きすぎ。
いやしかし、呑み書きやっててよかったな。3年続けた私グッじょぶ。
呑み書きはちゃんと楽しいのよ。海の、開発されてないとこ、人間そのまんまにちゃんと会える場所だからかも。参加してくれる人、みんなありがとね。楽しくnoteしたいね、せっかくアカウント持ってるしね。
それじゃ、来週一緒に遊ぼうね!
(と思ったけど、私は本祭り不在だわ。
グランドキャニオンでキャンプしてくる。絶対電波ない)
♡を押すと小動物が出ます。