「評価」のカラクリ
森本しおりさんのnoteに触発されて書きました。
未読の方はまずしおりさんのnoteをお読みください。
私は企画を主催することが多く、実施/参加した企画の回数に比例するように交流する人の数も増えました。自然と普段書くnoteにもスキが付きやすい、しおりさんのnote内で言及される、いわゆる「スキの多い人(AKB48)」です。
私もしおりさんと同じことを常々感じていましたが、私自身はnoteの楽しみ方は人それぞれだし自分のnoteの使い方もこれでいいや、特段私から何かを語ることもあるまい、と思っていました。
でもAKB48的な存在に対してモヤモヤを抱えている意見(「私は文章力の向上をストイックに頑張っているのに評価されるのはロビー活動の上手な人で悔しい」的なもの)を目にすることが増えて、私のような存在が頑張っている書き手を無駄にモヤモヤさせていることもあるだろうなと思い、あえてここに心のうちを書いてみます。
簡潔に言います。
note内の「評価」なんて幻です。
スキの向こう側、そこにただ友人の顔があるだけです。
私にとってnoteは楽しい遊び場。
noteのスキ数、フォロワー数は、私の価値を表すものではありません。
noteで得た友人のうち、ちょうど私の記事に目をとおす余裕のあった人が、うんうん、と頷いてくれた数だと思っています。
それでももし内輪的に「評価」されたい(AKB48になりたい)方がいらっしゃるなら、他の書き手のnoteをたくさん読んで、たくさん感想を伝えて、双方向でやりとりする関係を丁寧に作ってください。
スキ数目当てではとても続けられないと思いますが。かなり労力がかかります。
内輪的な評価なんていらない、外の世界で挑戦する。
そう思われた方に私の考えをお伝えします。
きっと、外の世界の「評価」も不確かなもので、note以上に人と人との繋がりが重要になってきます。場合によってはnote以上に「ロビー活動」が目に付き、凹まされることが多いでしょう。
文章の世界は知りませんが、システムエンジニア時代に見た「評価されるプログラマ」はそうでした。一人でコツコツ良いプログラムコードを書いていても評価されることはありません。
勉強会に参加して、フォーラムに参加して、慣れてきたら登壇して、共同でコミュニティを運営して。
エンジニアの世界でも、人と人との関わりの中に「評価」は生まれていました。
ごくたまに一人で開発したサービスが話題を呼ぶスタープレイヤーも出現しますが、それは文章の世界で言うと偶然バズって出版の話が舞い込んだような感じです。さらに言うとバズるためにも日頃から外の世界への働きかけが必要なため、完全にひとり黙々と作業していた人がスターになることはごくごく稀です。
他者の「評価」が気になり自分が評価されないことを嘆く。
天から与えてもらう「評価」を追い求める限り、尽きない悩みではないでしょうか。
フゥ…… 書いてしまった……。
森本しおりさん、おかげでずっと考えていたけれど書きにくいなぁと思っていたことを書けました。きっかけをありがとうございます!
あと、しおりさん、責められているように感じたらごめんなさい、普段真面目なトーンで話さない人が真面目な話をしてると「怒ってるのかな……」ってなりますよね、真面目な話をしたけれど怒ってません。(しおりさんの記事は、たくさんの人が思ってることをズバッと書いてくれた!さすがだぜ!と思いました。)
みなさんはどの方向を目指して、書いていますか?どんな自分でありたいですか。
しおりさんの問いかけ、noteで心穏やかに書きつづけるために各自がしっかり自覚した方が良い大切なことだと思います。
みなさんも一度、心の棚卸しをして書いてみませんか。
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