見出し画像

マネタイズの街で私たちは何者なのだろう

前回の記事で「noteが『創作の街』というより『発信マネタイズ村』って感じになった」と書いたのだけれど、noteがなるべくしてそうなっているなら別にそれでも良いです。私はnoteに間借りしている、noteが嫌なら出ていきゃいいだけのイチユーザー。

頭切り替えてこー。
なににモヤモヤしてるのか、どうしたらまたnoteを楽しく書けるのか、整理したい。

「マネタイズ」「お金を得る」こと自体を悪く思ってはいない。『発信マネタイズ村』って言い方は悪口っぽいけれど。noteさんは営利企業だし、誰かが創作で収入を得ているのを見るのはハッピーだし、私も嫌儲主義じゃないし、お金は大事だし好きだし一生側にいてほしいし。

マネタイズ自体に悪い気持ちを抱いていないなら、なぜ『マネタイズ村』を居心地悪く感じるのか。

それは「雑な人」が増えるからだ。マネタイズを掲げていないユーザーを「収益を放棄している」「売る側じゃなく買う側」とみなして「無料で使える労働力(無償奉仕/バイラルマーケティングの資源)」「有料コンテンツを売りつけるターゲット」として一律に扱う「雑な人」。いや、ほんと増えたと思う私がnoteを始めた2年半前に比べて劇的に。商業メディアからの無償依頼、私にも来たもん。(丁重にお断りしました)


まぁね、たしかに「マネタイズを掲げていないユーザー」は何者か掴みづらいぶん、どう扱ったらいいのか分かりにくい。その分かりにくさが私は好きだけれど「早急にマネタイズしたいタイムイズマネーな人」からすると雑に扱いたくもなる存在ですよ。しかし今後もずっと雑に扱われるとなるとnoteを続けるにあたり面倒この上ないので、この機会に、私たち「マネタイズを掲げていないユーザー」に分かりやすい輪郭を与えてみることにする。「マネタイズを掲げていないユーザー」を一般的な概念に当てはめてみましょうか。

さて、我々は何者なのか。
「創作をするため」にnoteにいる、マネタイズを掲げていないユーザー。

  • 頼まれてもいないのに

  • 無料で

  • 創作物を公に披露し

  • ときどき投げ銭をいただくことがある

現実の街にもいるでしょ。
そう、これはストリートパフォーマーです。
我々は別に目新しい存在ではない。


公園や商店街やファーマーズマーケットでストリートパフォーマー(ミュージシャン)が演奏するのに何度か遭遇したことがある。彼/彼女らの音楽が空間に満ちると、街が豊かになる。街に活気が出る。そして街を行き交う人のうち数人が足を止め、演奏に耳を傾けて、演者に反応を返して、気軽にチップを置いていく。noteの街でも同じことで、そういうのって豊かな光景だと思うのだ。

日本はストリートパフォーマーに冷たい人が多いけれど、noteはニューヨークみたいな街を目指してるんでしょう?もう少し通りすがりの人からの投げ銭が増えるように、外部からの流入とサポートのしやすさを工夫してもいいんじゃないのnoteさんよ。(ここは個人の努力では限界がある部分の「マネタイズ」だからnoteさんに話しかけてる)

「ストリートじゃなく、テレビに出て、ブロードウェイに立ってこそ本物のパフォーマー。その方法を伝授」のような圧をかけてくるセールスはこれからも絶えないと思うけれど。

ダイエットをするなら「〇〇するだけダイエット本」じゃなく、適切な運動と食事と睡眠。心身の不調には「擬似科学本」じゃなく、医者の診察。読む内容も書く内容も「ごく当たり前のこと」を好む私は出版業界におけるテレビやブロードウェイに興味がない。テレビやブロードウェイも「ごく普通」の私はお呼びじゃないだろうから相思相愛だ。

小さな日常を持ち寄って、仲間と街角に立つのは楽しい。投げ銭はウェルカム。お金は好き。私の演奏に価値を見出してくれてステージに立ってほしいって呼んでくれるならさ、せめて法人はギャラ出して。お金は好きだっつってんだろ。


これからもストリートパフォーマーとして、胸を張ってnoteを書いていきたいな。

この記事が参加している募集

#noteのつづけ方

38,359件

♡を押すと小動物が出ます。