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あきらとさんへの手紙:noter同士の距離感について、正直いうと私は深く考えたことがない

note同期(noteをはじめた時期が一緒くらいの人)のあきらとさんが悩んでいる。あきらとさんとは仲良くさせてもらっているし、学生時代も会社員時代もなぜか同期愛は強い方だったから、今日のnoteはあきらとさんのために書く。
ラッキーなことに、あきらとさんと私、お悩みの件に関しては考え方が全然違うみたい。寄り添う感じのお悩み相談ではないけれど、こんなやついるんだ、と自分と違う考え方に触れることで、もしかしたら肩の荷がおりるかもしれない。これはあきらとさんへの手紙だけれど、同じような悩みを持つ方も、よかったらどうぞ読んでみてください。


noter同士の距離感、たぶん、noteをどれだけ読むか、スキやコメントをする基準、Twitterでの絡み方/頻度に、あきらとさんは悩んでいるっぽい。

noteで出会った人との距離感についてすごく真面目に考えてるんだね。私、考えたこともなかったや。
なぜ考えたことがなかったかというと、リアルの友達づきあいがけっこう気まぐれで雑で、note上の人づきあいもそれでいいと思っているからだ。

私はリアルの友人と連絡はこまめになんか取らないし、数年連絡していなかった人をいきなりゴハンに誘ったりする。
それでも仲良い人とは仲の良いままだし、私が個人的に相性悪いなぁと思っている「本当の友達なら〜〜してくれるはずだ」というタイプの人とは勝手に縁が切れるので、いいこと尽くしだと思っている。
リアルでそんな感じの私は、noteでも似たような感じだ。


note、たくさん読みたいけれど全部は読めないよね。
しょうがないと思うんだ。あきらとさんが「自分のキャパと相談して」と言うとおり、自分のキャパシティ以上のことはどう頑張っても処理できない。

でも、それで読めなかったnote、それを書いたnoterさんと疎遠になってしまう、と寂しがる必要はないんじゃないかと思うんだ。
毎日欠かさず読んで、スキして、コメントして、Twitterでも絡んで、それが親密さを表すのだとしたら、私だったらちょっと疲れてしまう。交わした総文字数が多い方が親密かというと、そうとは限らないんじゃないのかな。


私の友人に、すごくチャラい男がいる。
彼はあまりにも友人が多いので、誰だったかが「友達が多すぎて結局誰のことも大事にしていなさそう。」と揶揄したのね。
そのときの、チャラ男の返事がすごく良かった。
「いま一緒にいる友達が一番大事っしょ。今はこのメンバーが一番大事だし、違うやつと遊んでるときはそいつらが一番大事。」


noteも一緒だと思うんだ。
noteにはたくさんnoterさんがいるけれど、一番大事なのはいま読んでいるnoteを書いたnoterさん、もしくは、いまTwitterで言葉を交わしているnoterさん。
いま私の書いたnoteを読んでいるなら、いまこの瞬間は私のnoteに集中してくれているでしょう?集中できないのなら、ちょっとスマホやPCから離れて休んだ方がいいんじゃないかな。惰性で読むな。

毎日読むことができないnoterさんのnoteも、たまにでも立ち寄ってそのnoteを読んでいる瞬間は、そのnoterさんが一番大事。
だから「noteを読めない」ことに罪悪感は感じない。読めないときは読めないんだから。読めるときに読みに行き、読んでいる間、その人を一番大事にする。


ついでに言っておくと、私には「誰が一番親密か」を基準としたnoterさんの序列は存在しないんだ。note同期としてあきらとさんのことは特別視しているけれど、序列はない。
個人的に会ったりnote酒場に行ったりして生身の人間同士で話をしたら、特別な仲良しの関係がまた生まれるのかもね。それは私にとって未知のことで、いまはよく分かんない。

もちろん、noteを読んでいない状態、スマホを置いている私にとって一番大事なのは、目の前にいる家族・もしくは友人だ。

あきらとさんと会ってお話できるのを楽しみにしてるよ。
最初に言ったようにリアルでの友達づきあいは、私、気まぐれで雑だから、そのつもりでいて。

では、お手紙noteはこのへんで。


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あきらとさんからのお返事はこちら。


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