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30代の「ピア・エデュケーション」 妊娠・出産を拗らせた女医は、覚悟を持てない。


今日は、なんとも言えない、後味の悪い話を書こうと思う。
これは読み手の方のことは一切考えていない、ただ、自分の思考を整理するためだけの文章だ。だから読み終えてもスッキリはしないだろうし、書き手に対する評価が悪い方向に変わるかもしれない。とても自分勝手な文章になっていると思う。

とりわけ、不妊治療を経験された方には、本当に、本当に申し訳ない内容になっているかもしれない。だからくれぐれも、お気をつけて欲しい。もしも、少しでも興味を持っていただけて読み進んでいただいたとしても、途中で「あ、これは違う」と思ったら読むのをやめてほしい。多分、無理して読むことはお勧めできない。

そんな自分勝手な文章をなぜ書くかというと、これはもう完全に、自分のためだ。ここ数日、自分のライフワークはなんだろう、と考えていた。考えて考えて、出てきたのは「ピア・エデュケーション」「性教育」「ウィメンズヘルスケア」「リプロダクティブ・ライツ」という言葉たち。20代の頃、一度は志して、挑戦しないまま挫折して封印してきた言葉たちだ。これが今、私の頭の中でふわふわと漂っている。

過去の記憶と向き合った瞬間、私はもう、どうしようもなく自分が嫌になった。
多少なりとも志はあるのに、その道に進む勇気と覚悟のない自分。
そんな自分自身と向き合おうとしたら、何年も前に封じ込めた葛藤が噴き出してきた。蓋をするのはやめろ、いい加減ちゃんと向き合ったらどうかと、その葛藤たちが忙しなく私の周りで叫んでいる。

だから今日は、拗らせた30代の女医の、とある葛藤について書こうと思う。



きっかけは「ピア・エデュケーション」だった。


「ピア・エデュケーション」とは、「思春期の若者が抱える性の悩みを、同世代の仲間(ピア)が相談役になり、解決を目指す取り組み」のことを指す。日本各地で大学生や看護学生たちが中心となり、活動を行っている。HIVやエイズ、性感染症、デートDV、スマートフォン依存などがテーマになる。

私が「ピア」に出会ったのは、大学生の時だった。

当時の私は医学生で、「ウィメンズ・ヘルスケア」「女性医学」というものに関心があった。たまたま近くで開催されていたエイズフォーラムに参加し、「ピア・エデュケーション」を体験した。

10代の少年少女たちに向けて、それよりもほんの少しだけ年上の「ピア」たちが語りかける。講義形式ではない、ディスカッションやデモを中心とした能動的なセッションに私はとてつもなく惹きつけられた。もっと早くにこの活動を知りたかった。「ウィメンズ・ヘルスケア」と言えば、産婦人科医になるか、あるいは家庭医になるかの選択肢しかなかった私にとって「今の自分ができるかもしれないこと」はとても魅力的だった。

「ピア」になりたい。

そう思いながら、卒後、私はある田舎の病院に赴任した。
初期研修医として多忙な日々を送りながら、近くで「ピア・エデュケーション」を行っている大学サークルがあることを知り、連絡をとった。よかったら見学に来てくださいという丁寧なお返事をいただきながら、私は「機会を見て改めて連絡します」と返事したきり、一度も伺うことができなかった。

今思い返しても、本当に失礼なことをしてしまった。

「ウィメンズ・ヘルスケア」に興味があった。
「ピア・エデュケーション」はとても魅力的だった。

でも私は、一歩を踏み出すことができなかった。



「妊娠したいと思ったことがない自分」に罪悪感を抱く自分


私はこれまで「妊娠したい」と思ったことがない。

だから本当に、不妊治療をされた方には申し訳なく思う。本当に本当に、申し訳なく思っている。

これは決して「子供が欲しくない」とか「子供がいらない」というのではない。
ただ「子供が欲しい」という欲求を抱いたことが一度もない、という意味だ。

たとえば「月に住みたい」と思ったことがある人はいるだろうか。多くの人は思ったことがないと思う。それは「月に住みたくない」という意味ではなく、ただ「月に住みたいと思ったことがない」というただそれだけだと思う。

私にとっては、これが妊娠・出産にあたる。

「妊娠したいと思わない自分」に気付いたのは、中学生の時だった。
女性として生まれたからには、妊娠・出産・育児というライフステージをどこかで経験しなければならないという、無言有言のプレッシャーを暗に感じ始めた頃だ。私はそのプレッシャーに違和感を感じていたし、同級生が「いつか子供が欲しい」と口にするのが理解できず、とても不思議な気持ちで眺めていた。

子孫を残す意思がないという点において、自分は生物として失格なのではないかとさえ思った。

私の染色体はXXのはずだけれど、実はそうではなくて、まだ見つかっていない新種の遺伝子異常でもあるのかもしれない、とも考えた。


子供を産むことが「普通」とされる世界で、子供を産まない人生をどう歩むか。


高校生になった私は、その答えを探すようになった。
そして見つけたのが「リプロダクティブ・ライツ」という概念だった。


リプロダクティブ・ライツとは、WHOが定義している権利だ。

生殖に関する権利は、すべてのカップルと個人が、出産する子どもの人数、間隔、時期を、自由に責任を持って決断することができる権利、そしてそのための情報と手段を持つ権利、およびできうるだけ最高水準の性と生殖の健康を手に入れる権利を認めることにかかわっています。それらにはまたすべての人が差別と強制と暴力をうけることなく生殖に関する決定をする権利も含まれる。

短く言えば「生殖の自己決定権」「産む自由・産まない自由を自己選択できる権利」ともされている。

「妊娠したいと思ったことがない」私にとって、この考え方は自分の人生を肯定してくれるかもしれない唯一の存在だった。

産む自由・産まない自由を自分で選択できる。
だから私は産まなくていいのだ、と。



「産まない自分」が性教育に関わって許されるのか


産まないためにどうすれば良いのか。
不幸な性交渉からどうやって身を守れば良いのか。

リプロダクティブ・ライツをきっかけに、私は「性教育」「緊急避妊用ピル」「コンドーム」という言葉に行き着いた。そして話は、最初に戻る。

ピア・エデュケーションというものに興味を持ちながらも踏み出せなかったのは、私自身が「産まないという選択」を確固たるものにしていたからだった。

性教育は「選ぶ権利」を知るものだと思う。

体に触れる、触れない。
セックスをする、しない。

自分にも相手にも「選ぶ権利」がある。それはどんな理由があっても、相手が誰であっても尊重され、守られるべきもの。それを知ることから始まるのではないかと思っている。

だけど当時の私はもう「選ぶ」ことを終えていた。
産むという選択肢を持っていない、とても偏りのある人間が、「選ぶ」ことを伝える性教育に携わって良いとは思えなかった。

性教育は「子供が欲しい」と思う人をサポートするためのものでもある。
妊娠や出産したい人が、適切な時期を見定め、望まない妊娠を避ける。そのために必要な知識や考え方が、「避妊」だったり「コンドーム・ネゴシーエション」だったりする。

そこに、私が加わったらどうなるのか。

産むつもりのない私が、避妊を伝えることはフェアなのか。
産みたいと願う人の希望の芽を潰してしまったりしないだろうか。

あるいは、自分自身の思考の偏りを自覚した上で。
それを隠し、あくまで公平中立な立場に立って、プロとしてその場に踏みとどまれることができるのだろうか。


葛藤を拗らせた結果、私は何ひとつ挑戦できないまま、この志を諦めた。


産婦人科医になる、ということも。
性教育や女性医学に携わる家庭医になる、ということも。


産みたいと願う人の前に自分が存在していることが、ただただ、申し訳なかった。



そして30代。私は母になっていた。


それから10年。私は母になった。

妊娠にも出産にも、葛藤はあった。なんなら今でも、葛藤は続いている。
それでもなんとか子供のいる人生を受け入れて、楽しいものにしたいと努めている。「母」も「ワーママ」も、そして「私」である私も、すべてをバランスよく尊重して、そして家族を大切に過ごしたいと思っている。

それでも時々「自分はリプロダクティブ・ライツに敗北した」という、よくわからない罪悪感が湧き上がる。


そんなころ、9価の子宮頸がんワクチンが認可された、というニュースを耳にした。これを機に、子宮頸がんについて調べ直した。頸がん検診にも行き、低用量ピルの内服も始めた。緊急避妊用ピル (アフターピル)のハードルが未だに高いままであることを知った。乳幼児や母子の悲しいニュースを聞いた。

少しずつ、少しずつ、自分のアンテナが立っているのを感じていた。

そしてふと、思ったのだ。

10代の子たちのピアにはなれなかったけれど、
30代の女性達のピアになれないだろうか、と。

30代、いわゆる「子育て世代」「働き盛り」の女性というのは、毎日が激動だ。自分よりも子供や家族を優先するような生活を送っている人が多いのではないかと思う。

それでも、この世代に起こりやすい病気、というのは確かに存在する。

悪性疾患の早期発見・早期治療、月経や婦人科疾患に対するケア、家族計画。

介入できるものは、たぶん、たくさんある。
10代の子たちだけに性教育が必要なのではない。
全ての年齢に、性別を問わず、それぞれのライフステージに応じた適切な介入というものがきっと、あるはずなのだ。


30代の女性のピアになれるかもしれない。


そこまで考えて、私は過去に封印して諦めた志を思い出した。
そして今、ひどく、自己嫌悪に陥っている。


私は医師だけど、産婦人科医ではない。手術室にこもりきりで、一般外来にも出ていない。ただの医師免許を持っただけの30代だ。

30代女性のピアになるためには、適切な介入をするためには、途方もない努力が必要になる。その努力を前にして、私はすでに、気力を挫かれている。

どうやって師やメンターを見つければ良いのか。
何を足がかりに学び始めれば良いのか。それに投資するだけの時間や資金は。
手術麻酔以外の分野を学ぶことを職場にどう伝えて折り合いをつければいいのか。今の環境や収入を捨てて、その道を進む覚悟はあるのか。努力し続けられるのか。
目の前にいる患者さんと、逃げずに向き合い続けられるのか。

そして何より

子どもを欲しいと思わない自分が
誰かに悪い影響を与えてしまうのではないだろうか
私情を封じて、プロとして振る舞い続けることができるのか。

自信がない。
これはもう、まったく、自信がない。

子どもをお持ちの方や、子どもを希望されている方に対して。
欠落品のような自分が医療従事者で申し訳ないという気持ちになるし、それでも良いピアになるために努力し続ける、という覚悟が持てない自分が情けない。


志があれば道は開けるというけれど。
今にも折れそうな、というか、一度はぽっきりと折れたそれを持って、新しい世界に挑戦することができるのだろうかと問われたら「できません」と言ってしまいたくなるくらい、私には覚悟がない。



せめて今の自分にできることを


というわけで、私のしょうもない葛藤は今も続いている。
いろいろな人に、ただただ申し訳ない、という気持ちも残っている。

せめて今の自分にできることをしたくて、少額だけど寄付をすることにした。



NPO法人「ピルコン」さんのマンスリーサポーターとして、毎月、ほんの少しだけれど寄付を始めた。

ピルコンさんは「正しい性の知識と判断力を育む支援により、これからの世代が自分らしく生き、豊かな人間関係を築ける社会の実現を目指す非営利団体」「医療従事者などの専門家の協力を得ながら、中高生向け、保護者向けの性教育講演や、性の健康に関する啓発活動」をされている。(公式HPより)

トップページにある「人生をデザインするために、性を学ぼう」ってとても良い言葉だと思う。


この手の活動は、想像するに、たぶん、とてつもなく大変なのだ。それは資金とか作業量とかだけではなく、社会のいろいろな方向からいろいろな石や槍が飛んでくるわけで、それを受けながら前を向いて一人で立って歩いていかなければならない、という場面が多々あるのではないかと思う。

振り返って、ひとりでウジウジしている自分を見ては、またウジウジしている。


すごく、やりたいことに近づいている気がするのに
それを実現するだけの覚悟ができないのだ。


妊娠と出産を拗らせた女医は、今日もジメジメして苔を生やしている。






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