一人じゃないからねという言葉のやさしさ
修士論文を書かなきゃいけないけど、どうしても気分が乗らない。大学の研究室に行けないからだと言い訳しておこう。家の中で仕事をしている方々は本当にすごい。全然できない。
私は現在、6年目の夏休みを目前にしたしがない文系大学院生だ。来週はゼミで進捗の発表だし、その2週間後には全体でまた発表。そして中間発表がすぐ来る。やめてくれ、ぼくはそんなに器用じゃない。タフでもない。1月には修士論文を提出しなければいけないのに、全然書けないどころか、一1ミリも進まない。D進しようと思った時期もあったし、先生もそれを喜んでくれたけど、やめだやめだ。研究なんてやってられるか。楽しくてできる時期もあるだろうけど、ぼくはその域まで達してない。半年くらい前に、声優をやめて大学教員を目指すって人のnoteを読んだけど、あるかも分からないイスを追い求めるだなんて、難儀な人だなあと思った。そもそも、研究にだって向き不向きがあるのだ。心から楽しめる人もそれはそれでいるんだろうけど、そうでもなければ真っ暗闇を目を瞑って進むようなものだ。自分は何を研究しているのかとか、何の役に立つのかとか、そういうことを延々と考えることになる。やる気も起きなくなって、でも先行研究は読まないといけなくて、実験系の人たちは実験の計画だって立てなきゃいけなくて、それに結局ひとりでやらなきゃいけない。
研究が進まなくて(いつものことだけど)、先輩というか、同じゼミの親友にLINEをした。定と特定ってなんだっけ、同じ先行研究を読んでるから教えてもらおうと思って、ついでに研究が進まないよどーしよー、って。全然進まないよねわかる、大丈夫だよ、ひとりじゃないからね、一緒にがんばろ。たったそれだけのやりとり。でも私は少し泣いてしまった。ひとりじゃないからね、という言葉の優しさに、一人心を打たれて泣いてしまった。そうか、私は一人じゃないんだ。研究室は離れちゃったけど、学年も一つ違うけど、私は一人で研究してるわけじゃないんだ。何だかこの数ヶ月でたった一人で研究して孤独だなあと思っていたけど、全然孤独じゃなかった。私の研究は基本的に文献とのにらめっこだから一人での作業なんだけど、同じように文献とにらめっこしてる親友の姿を想像したら、なんだかおかしくなってしまった。そうか、あいつも今文献とにらめっこして頭が爆発しそうになってるんだな。
全体発表も無事に終わって、次は修士論文の中間発表会が待っている。本当に次から次へとイベントがやってくる。困ったものだけど、先行研究の意味が分からなすぎて頭がパンクしそうになっている親友を思い出すと何だか今日も頑張れる気がする。
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