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追い詰められたときに出るのは本性ではなく「追い詰められたときの性格」に過ぎない。

好きな日本語は「時と場合による」で、好きな英語は「case by case」なまーしゃです。

さて、
窮地に立たされたときって、立ち向かったり、誰かのせいにしたり、いろいろなパターンがありますよね。

で、それをハタから見た人が「あれがあの人の本性か」と言うシーンもありがちです。

普段は無口で無愛想で他人に無関心な人が、逆境にもかかわらず、他人のために働く。
逆に、
いつも温厚で面倒見がよく優しい人が、しんどい状況に陥ったら他人を切り捨てる。
そういうときにどこからともなく

「あの人、本当はこういう人だったんだね」

という言葉がきこえます。

でもね。
みんな、「本当」だと思うんです。
みんな、「その人」自身だと思うのです。

追い詰められたときに、その人がした選択を、その人をかたちづくる全てと思わないで。

普段は冷酷な人がピンポイントで優しかったら「本当は優しい」になる?
冷たい態度に過去傷ついた、周りの人の気持ちは「本当は優しいから」で救われるの?

いつも親身になってくれた優しい人が、その日だけ酷い人であったとして、優しかった日は全てなかったことになる?そんなの悲しいじゃない。

追い詰められたときに出るのが、すべて

ではなく、追い詰められたときに出るのは、「追い詰められたときのその人」ただそれだけなのだと、わたしは思うのです。

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