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虹彩

あくびとわさび以外で、涙を流したことがない。

女優のような、真っ黒で大きいサングラスをかけるから、わたしはいつもだれかの視線に晒される。

顔の半分が隠れているからいいと思っているのか知らないが、通りすがりに写真を撮られたこともあった。

「ちょっと、わたしがしているのはモザイクじゃなくて、サングラスなんだけど」

思っていることをすぐ口に出す性格のせいで、損することもあるが、うちに溜め込むのは寿命を少しずつ縮めるから出しなさい、と99歳まで生きた祖母に言われた教えを、健気に守って大きくなった。病気らしい病気もせずに176センチまですくすく育ったから、祖母は正しいのだと思う。

大病を患ったことはないが、人並みに悲しむことはある。
わたしは、今日、悲しみに暮れていた。

悲しいと、たいてい目は緑と青に染まる。競うように二つの色は限られた円の中を行き来し、時折虹彩に金色が混じる。抑えようと閉じた瞼の下からも光は零れてしまう。薄く目を開くと、上と下の睫毛の一本いっぽんまでくっきりと見える。

これは比喩ではない。

まだ小学校に上がる前、鏡の前で瞳を観察するのが習慣だった。くるくると躍る色彩は感情によって変化した。

わたしは、かなしいときの色が一番好きだ。

「地球の色だ」
と父は言った。

「クリームソーダをつくるときに似ている」
と彼は言った。

だからだと思う。

父は、地球をみたことがあるのだろうか。

彼は、クリームソーダをつくったことがあったのだろうか。


わたしは、そっとサングラスを掛け直した。

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