2024-02-22: 4コマ漫画界の至宝・海藍作品を語る
はじめに
海藍(はいらん)という作家をご存知だろうか。
2000年に芳文社の「まんがタイムジャンボ」誌上で実質的に商業誌デビューした海藍は、代表作の『トリコロ』で創刊初期から「まんがタイムきらら」を牽引した。
『トリコロ』はきらら系作品として初のドラマCD化を達成し、後に設定資料集も発売されている。黎明期のきらら系作品としては異例の扱いであった。
私見では「まんがタイムきらら」史、ひいては『あずまんが大王』(あずまきよひこ)以降の萌え4コマ文脈を語る上で無視できない重要作家の一人だ。
しかし、2023年現在においては、『ひだまりスケッチ』(蒼樹うめ)や『けいおん!』(かきふらい)、『ゆるキャン△』(あfろ)、『ぼっち・ざ・ろっく!』(はまじあき)といった、TVアニメ化を果たした同社の後発作品と比較し、その知名度や世評には開きがあるように感じられる。
また、2018年より主要都市で開催されてきた、「まんがタイムきらら」関連誌の掲載作品による展示会「まんがタイムきらら展」においても、後述する移籍騒動の影響か『トリコロ』は扱われていない。
さらに、現在海藍作品は全て品切れ(絶版?)であり、電子書籍化もされていない。そのため、2024年現在では中古流通での購読以外に入手方法がない。
これらの状況は、結果的に現在の4コマ読者や、比較的若い4コマ作家すらも海藍作品に触れることを難しくしている。
(余談だが、筆者と同時期に4コマを執筆していた作家のなかで、本作を知っている方は必ずしも多くなかった。この件は「百合論考 vol.1」のインタビューで話したのでここでは詳しく説明しない)
私事で恐縮だが、筆者はたまに「4コマ漫画でオススメってなんですか?」と聞かれることがある。
そのたびに、「海藍――」という言葉を口に出すべきかどうか逡巡してしまう。
質問者の年齢や嗜好を考慮して、というのもあるが、そもそも「その漫画、調べても全然情報無いし、新品も売ってないんですけど」と言われてしまう未来を思い、いささか憂鬱な気持ちになるからだ。
もっと、2024年現在において著名でアクセシビリティの高い作品を推薦すべきか?
それでも……それでも筆者は海藍作品をレコメンドしたいのである。
この投稿をもって、その思いを皆さんにお伝えしたい。
でも、なんで今? なんかあった?
大丈夫です。なにもありません。
単に今しゃべくりたいだけなので気にしないでください。
海藍作品ってどんなの?
まずは、海藍作品について簡単に概説したい。
海藍作品は『クラビら。』(2005年)を除き、基本的に4コマ漫画形式を採っている。
画風について
キャラクターデザイン面の特徴として、コマの端まで伸びるボリューム満点の長髪や、ゼロ年代当時の萌え系としても規格外に大きい目が挙げられる。
筆者は、これが「萌え」系の絵柄を単に手癖で極端化させたものではなく、各意匠の形成に「4コマ漫画的な意味」があると考えており、それについては後述する。
デビュー以降次第にペンタッチのイリ・ヌキや強調を排除し、細く均質な描線を得意としており、整理されつつも繊細で緻密なディテール描写や重くならない程度に潤沢なトーンワークなど、作画的に秀でた点は枚挙にいとまがない。
ネームについて
4コマ漫画全般と比較して、基本的にダイアローグを主体として起承転結を実現している。
換言すれば、掛け合いが主体となる漫才的なネーム構成が主体である。
漫才的なネームは、図1に示されるような構成であり、2名以上によるダイアローグが起承転結を構成する。
他方、非漫才的なネームとは下図(図2)に示すような表現である。
図2の「オチ」は絵が入って初めて成立する内容であり、かつ登場人物は宮子(水着の女性)1名である。
海藍作品にこのような独演、または「絵のみ」によって起承転結を推進させる作例は少ない。
『あずまんが大王』と海藍作品
余談だが、ダイアローグを排除しつつ、かつ起承転結構成を映像表現における「ワンカット」的な構成を得意としたのが、あずまきよひこ(『あずまんが大王』)である。
ダイアローグの排除それ自体は『あずまんが大王』発表時においても新鮮な手法とは言えない。
吉田戦車『伝染るんです。』や榎本俊二『ゴールデンラッキー』といった、平成初頭におけるシュール系4コマには既に認められる手法であり、そのオリジンを求める仕事は筆者の能力を超えている。
ここで強調したいのは、時系列的、および「まんがタイムきらら」の創刊動機を考慮すれば、海藍作品を含む、少なくないゼロ年代のきらら系4コマは『あずまんが大王』の影響下にあると言える点だ。
誤解を恐れずに言えば、『あずまんが大王』的な「萌え系」(※このジャンルで『あずまんが大王』を括ることに抵抗がある方も少なくないだろうが、当時の「電撃大王」系の漫画は明らかにゼロ年代「萌え系」と親和しており、ここではこのように整理する)と、ファミリー4コマ色の強い「まんがタイム」系の文脈が合流したのが「まんがタイムきらら」である。
この文脈において、しかし海藍作品は『あずまんが大王』と乖離する方向に向かったように筆者には感じられる。
『あずまんが大王』はワンカット的・コント(寸劇)的な起承転結と、カット割り的・漫才的な起承転結との両刀使いだが、海藍作品は後者を洗練し、突き詰めていくのだ。
海藍はオルタナティブな前者を表面的に自作へ取り込まず、萌え系の文脈下において、あくまでトラディショナルな後者を深化させた作家であると言える。
海藍作品を振り返る
1. キャリア初期
『あずまんが大王』の連載が「電撃大王」誌上で始まった2000年。
「まんがタイムジャンボ」誌上で開催されていた「新人4コマ鑑定団」という読者投票型の新人作家向け企画において、自分探しの気ままな旅を続ける少女を主人公にした『路を歩めば。』で海藍はデビューした。
キャリア初期の海藍作品は、全体的にベタを多用し、ペンタッチにもある程度の強弱がつけられている。
ベタは画面を引き締める効果があり、「空白感・未完成感」を弱める効果もあるため、新人作家はベタを多用することが多い。
一方、ベタには画面を「重たく」してしまう作用もあるため、そもそもコマの小さい4コマ漫画においては読者の視覚的負担を増大させてしまう。
ゆえに、徐々に海藍作品の画面からは広いベタや濃度の濃いトーンが消えていく。
また、当人のキャラクターデザインにおいてシグネチャーと言える「目」の大きさも控えめであり、『路を歩めば。』の主人公・忠江のデザインが示す通り、デビュー当初の海藍には90年代末のアニメや美少女ADVにおける「萌え系」デザインの強い影響は認められない。
『ひだまりスケッチ』の蒼樹うめはキャリア初期に美少女ビジュアルノベルソフトハウス『ねこねこソフト』関連の仕事をしていたし、きゆづきさとこの『GA 芸術科アートデザインクラス』は元々「ぷにぷに萌えたい四齣コミック」をキャッチコピーとして掲げる平和出版「COMICぎゅっと!」で連載されていた。
あずまきよひこも、あずま名義での『あずまんが大王』以前における商業的に主要な仕事は、ジェネオン(旧パイオニアLDC)系アニメ作品の広報漫画である。
他方、海藍はそういったジャンルクロスオーバー的な出自でなく、いわば「生え抜きの」まんがタイム系4コマ漫画家として自身のキャリアを、「きらら系雑誌へのゲスト掲載」という形で徐々に重ねていく。
2. 『トリコロ』『三キャプ』期
2002年、それまで不定期のゲスト掲載が主だった海藍が、3月に「まんがタイムラブリー」で『特ダネ三面キャプターズ』(以下、『三キャプ』)を、5月には新創刊した「まんがタイムきらら」の看板として『トリコロ』の同時連載を開始する。
※2/22追記:上記認識について下記のフィードバックを頂きました。ありがとうございます!
さらにゲスト掲載扱いながら毎号『まんがタイムジャンボ』に掲載されていた『ママはトラブル標準装備!』(以下、『ママトラ』)も並行し、この年突如、海藍は4コマ漫画のトリプル連載を抱える多忙な作家となる。
『トリコロ』は、父が早逝した母子家庭・七瀬家に、母の友人2名の娘がそれぞれ、なんと同時に下宿するところから始まる。
女子高生3名によるトリオものの形式は、やはり「まんがタイムきらら」で2003年から連載開始した長寿漫画『三者三葉』(荒井チェリー)などにも認められる「日常系萌え漫画」の登場人物における最小構成だ。
本作の白眉は、下宿してきた少女が、それぞれ大阪と広島出身であり、それぞれ大阪弁と広島弁で話す点である。
いずれも、海藍の作家性からか「チャキチャキ」したテンプレートな関西人でなく、かといって『あずまんが大王』の人気キャラ・大阪が示したようなキャラの「ギャップ」もない。
さらに、標準語のヒロイン・七瀬八重はデフォルトの口調が(母以外に対しては)敬語である。丁寧な標準語、大阪弁、広島弁と特徴ある口調が織りなす会話は、「ボケ」と「ツッコミ」に強い切れ味を与えている。
『三キャプ』は共学の高校で部に昇格した新聞部の男女面々が織りなすドタバタギコメディ漫画であり、メインキャラクターとして若い男性が登場する、海藍作品としては稀有な作品である(これ以外にも、後述する『WTO』にも男子高校生が登場する)。
『三キャプ』の掲載誌は「まんがタイムラブリー」であり、連載当時において本誌は女性をメインターゲットとした4コマ漫画誌であった。
その影響もあるのか、本作には数名の男性キャラクターが登場し、海藍作品としては珍しくラブコメ的な要素も含まれている。
こちらはいわゆる「部活モノ」であり、「日常系」漫画の登場人物たちが集まる動機として部活がベーシックになっていった端緒であろう(「きらら」以前のまんがタイム系作品は、読者年齢層を考慮し、どちらかと言えばオフィスや家庭が主要な作劇の舞台となっていた)。
『トリコロ』は2002年から2005年までのほとんどの「まんがタイムきらら」表紙イラストを飾ることになり、上述したドラマCDや設定資料集(ファンブック)発売など、雑誌中でも異例の扱いを受けるようになる。
当時、きらら系で最もTVアニメ化に近かったのは間違いなく『トリコロ』ではなかったか(実際には、2007年に「キャラット」誌上の『ひだまりスケッチ』がアニメ化)。
3. 「電撃大王」移籍期
しかし、全てが順風満帆とはいかなかった。
2004年頃から、『トリコロ』や『三キャプ』の休載が相次ぐようになる。
断続的な連載状況のまま、2005年1月には旧メディアワークスで刊行されていた「電撃帝王」誌上に読み切りの学園モノ『WTO』を掲載。
9月には同誌上で海藍自身初の商業誌における非4コマ漫画であるカラー読み切り『クラビら。』を掲載する。
「電撃帝王」は2004年から2006年まで刊行された「電撃大王」の増刊であり、この一連の動きは、かつて『あずまんが大王』が掲載された「電撃系」漫画誌への移籍や、コマを割るストーリー漫画への布石かとファンを色めかせた。
実際に2005年末には掲載誌を「まんがタイムきらら」から「電撃大王」に変更する旨が作者公式サイトでアナウンスされ、移籍は現実となる。
翌2006年には、2月にファン待望の『三キャプ』単行本が芳文社から発売されるものの、以降芳文社との表立った仕事はなくなり、4月から『トリコロ』が「電撃大王」上で連載再開となる。
しかしながら、少しずつ休載が目立つようになり、2009年には『トリコロ』不定期掲載のアナウンスが告知され、かわりに『三キャプ』が同誌上で連載再開となるも、こちらも2011年に公式に連載終了となる。
その間、電撃版のトリコロ1巻がメディアワークスから刊行され、特装版付録として芳文社時代の未単行本化作品を収録した『稀刊twelve』が発表された。
電撃大王移籍前後から、作者自身のウェブサイト「セラミックガーリー」を拠点として、休載や遺跡に関する情報が作者自身によって発信され、その理由となる体調不良についても触れられるようになる。
X上においても、上記のように時折自身の体調に触れており、2024年現在においても、体力を要する仕事である漫画執筆は難しい状況であることがうかがえる。
電撃版トリコロ1巻収録話数は全てアナログで描かれているが、比較的近年「セラミックガーリー」で発表された描き下ろしの『ママはトラブル標準装備!』ではフルデジタル作画に移行しており、順調に連載が進行していた場合は既存作品もフルデジタル移行を伴っていた可能性が高い。
海藍作品の魅力
ここまで海藍作品の歴史を辿ってきたが、次は海藍作品の魅力について私見を述べさせていただきたい。
ダイアローグに依拠した起承転結の快楽
先述したとおり、海藍作品はカット割り的・漫才的な作風が主体である。
そこには紛れもないダイアローグの快楽があり、この快感は、ちょっと4コマ以外では味わえない。
下図(図7)は、「電撃帝王」で掲載された読み切り『WTO』1ページ目の一部である。
個人的に、4コマ漫画の第1話目や読み切り、わけても1ページ目は非常に難しい。
なぜなら、限られたリソースで「登場人物各位と彼らの関係」や「舞台や世界観」を説明しつつ、1話全体としての起承転結を用意する必要があるからだ。
基本的に、通常比率の4コマ漫画(ワイド4コマ以外)は1話分を8±2ページ程度で構成するのが慣例である。
4コマ漫画を1作描いたことがある人なら誰でも共感してもらえると思うが、これは非常に紙幅が少ない。
下図(図7)に示す『すのはら荘の管理人さん』(ねこうめ)の第1話冒頭では、主人公の自己紹介のためにモノローグを利用し、1本の中で起承転結を完了させる必要性を否定している。
2010年代において、ねこうめらに代表されるビジュアルに力点を置いた4コマ作家らは、もはや4コマの「起承転結」に固執せず、4コマをあたかも映像の絵コンテのように利用して作劇を展開するストーリー重視系の作品を創出していった。
図8の『ぼっち・ざ・ろっく!』においても、第1話冒頭では主人公のモノローグによって「省コストな現状の説明」という問題に向き合っている。
世界観や主人公の紹介などは作品の面白さそのものには大きく寄与しないため、作劇的観点からはそのためのコストを可能な限り削減し、本編に多くのリソースを割きたいからだ。
少なくとも冒頭の1本目から起承転結を軸にしたギャグを入れることは難しく、4コマ目でなんとかコメディ要素を入れて無難にまとめている作品が(もちろん拙作含め)多い。
それだけ、第1話のリソースマネジメントは難しいのである。
他方、海藍はどうか。
海藍も最初期作である『みそじのさあやはいきおくれ』や『喫茶ルマンでピットイン』の冒頭において、主人公によるモノローグを利用している。
しかし、下図(図9)に示した『WTO』の冒頭は傑出している。
会話する男女の会話は一部やや説明的ながらも、全体を通じてかなり自然(実際に有り得そう)なレベルに仕上げられている。
読者は3コマ目を読み終わった時点で、本作が現代劇であり、東京以外が舞台の学生モノであり、この男女の日常に介入してきた事象(物語的な”起”)を理解できる。
そして鮮やかなのは、転から結への移行である。
「なんで東京とかじゃなくてここに作ったんだろな」という<この舞台は東京ではない>設定説明セリフを、「ひょっとしたら実はこの町が世界で一番偏差値高いのかも!?」という<ボケ>のセリフで受け、「「ナイフ」を「クニフェ」と読む梢がいるのに?」という<ツッコミ>で締めている。
突然4コマ目でコメディなシーンが挿入されたり、意外性のある展開が起きるような、いわば「一発芸で笑いを取る」展開ではない。
そこまでのダイアローグが準備した、計画的な笑いなのだ。
さらに、この4コマ目によって、梢という少女が「ボケ系」、少年が「ツッコミ系」であり、両者が気が置けない仲であることまで暗に示される。
これは簡単に見えて、とんでもない仕事なのだ。
海藍作品には、このような「ダイアローグによって準備された」笑いが各所にあり、また1本ずつの4コマが8ページ全体の起承転結を構成する、入れ子構造も強固である(筆者はこれを、大きい起承転結と小さい起承転結と呼んでいた)。
海藍作品を読む場合には、このような「巧さ」をぜひ味わって欲しい。
4コマ漫画に特化したキャラクターデザインと画面構成
海藍作品のキャラクターデザインにおける特徴は、地面までつきそうな長さの髪の毛と、顔の輪郭をはみ出すほど大きな目の2つである。
前者は2024年現在でもスマートデバイス向けゲーム『ブルーアーカイブ』など、後者も特に少女漫画方面でその類型を随所に見出だせるデザインであり、無論、海藍のシグネチャーではない。
しかし、その成立には「4コマを主目的化した」デザイン方針が認められる。
まず、大きな目は4コマの小さなコマの中で十二分に感情を伝える装置となる。
現実同様、漫画表現においても目の描写は大きな情報量を担うが、そもそもキャラクターを書き込めるコマの大きさが小さく制限される4コマ漫画においては、キャラクターもまた小さく描かざるを得ない。
元々、萌え系のキャラクターは一様に目が大きく鼻口が小さい様式の絵柄で近年に至るまで描かれてきたが、こと4コマ漫画のキャラクターはその傾向が強い。
また、図10や11に示した諸作品のデザインのように、目に広いベタを入れるという点は海藍のデザインにも共通している。
重要な情報伝達能力を有する記号である「目」は、ベタによって周囲の作画よりも強調することで、読者の視線誘導を期待できるためである。
海藍キャラクターの大きな目は、このような4コマ漫画側の要請から「進化」した記号であることは、図4に示した氏の初期作の作画と比較することで明らかだ。
次に、非常に長い髪の毛であるが、これにも4コマ的ならではの理由がある。
図12のような画面において、髪の毛の分量が画面面積の多くを占めていることが分かる。
海藍の作品はトーン量こそ多いものの、「ベタッ」と広範囲に貼られるトーンは髪の毛のトーンだけであり、これによってキャラクターを強調し視線誘導を実現している。
また、コマの下端まで伸びる髪の毛は画面全体を引き締める効果を持つ。
図13に示す画像は拙作で恐縮だが、キャラクターの長髪によってコマの右下面積を抑えており、構図の安定化や作画コスト低下(!)を狙っている。
4コマ漫画はコマが小さいため、空いたスペースにディテールを書き込むと可読性が低下するが、何も描かないと「白さ」が目立ってしまう。
海藍のシンプルな髪の毛は、そのような制限化で画面に適度な情報量を発生させる装置なのである。
また、海藍作品でオチに散見される、図14の左下のような「コケる」リアクション表現も、昭和期の漫画表現でよく認められる「足だけ突き出す」などでなく、海藍デザインとして昇華されている。
記号化された長い髪のなびきによって「コケている」ことがわかる本表現は、個人的に海藍シグネチャーだと考えている。
4コマ漫画に特化したキャラクターデザインと画面構成。
海藍作品の画面はそれ自体が快楽なのである。
おわりに
電撃大王読者だった筆者がはじめて触れた海藍作品は『WTO』だった。
当時、『あずまんが大王』ロスを払拭したいがため、筆者は萌え4コマの門を叩いたばかりの少年であったが、『あずまんが大王』を上回る作品など存在しないのではないか、と多少の諦めも感じていた。
そこで出会った海藍作品であり、『トリコロ』であった。
卓越した画面構成能力、作画上の情報処理能力、言語を扱う能力、それらがおしなべて高度であり、その完成度に舌を巻いた。
大学生になったら講談社の「四季賞」に応募しようと考えていた筆者の目標は、海藍先生と同じ「まんがタイムきらら」誌上に作品を掲載されることにシフトした。
残念ながら、筆者が大学に入学した頃には、海藍先生は寡作時期に入られ、筆者は心の師を追いかけながら紆余曲折、最後は一迅社に拾ってもらいなんとか4コマ漫画を世に送り出せた。
昨年、一迅社連載時代の担当編集と飲んだ際、「塀には、4コマ漫画でなく、はじめから(『上伊那ぼたん』のような)ストーリー漫画を描いてもらえれば、一迅社時代の結果も違ったかもしれない」というようなことを、彼の自省的な意味でぽつりと言われた。
その真偽は今や不明だし自信もないが、筆者は一迅社で彼と4コマ漫画を描けたことが人生の背中になっているので一切の後悔はない。
ただひとつ後悔があるとすれば、それはやはり、海藍先生と同じ雑誌で、同時に描けなかったということである。
4コマ漫画界を離れた今も、『稀刊twelve』を毎日捲って勉強した証拠を、本書の小口に見るたびに、あの日々を思い出す。
海藍先生のご健康とご多幸、そしてまた海藍作品がたくさん読めることをお祈りしつつ、本稿を終わります。
※2/22追記:
本稿の内容、特に雑誌史関連などは特に、当時お読みだった方々の中には「それは違うと思う」というご意見がおありかと思います。
よろしければ、本記事のコメントにてほんわかフィードバックいただけますと幸いです。