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2024-01-03: 最近読んだ本

あけましておめでとうございます。
三が日から、本邦各地で大規模な災害や事故・事件が発生しており、遭難された方々の心中お察しするとともに、心よりお見舞い申し上げます。

私自身も、微力ながら能登大地震被災地への募金をさせていただきました。

ともあれ、年末年始読んだ本を棚卸しします。すでに結構内容忘れちゃってますが。
休暇中、じっくり本を読むような時間があまり取れませんでした……。


大江健三郎・古井由吉『文学の淵を渡る』

大江健三郎と古井由吉の対談集。
両者は年齢的に同世代の作家であり、東大文学部(大江は仏文、古井は独文)出身という点でも共通点がある。

本書は、93年から2015年にかけて行われた数度の対談を1つにまとめたものである。

『明快にして難解な言葉』では、小説や翻訳を巡り、言葉の不思議さや、それが物語ることの限界性について両者がトップギアで対話を進める。
その中で、大江が以下のように語っている点が印象的だ。

僕はこの頃思うことなんですが、小説家をめぐってのセンチメンタルな考え方が復興したのじゃないか。
中上健次氏が亡くなられて、(中略)中上さんへの追悼の言葉を読んでいると、あらゆる雑誌のほとんどの文章がセンチメンタルに書いてある。
(中略)このところの妙にセンチメンタルな受けとめ方を、僕は文学の行末を占う上でどうもよくないように思います。

『明快にして難解な言葉』

以前紹介した、江藤淳・蓮實重彦『オールドファッション』において、野上弥生子が85年に逝去した際に、葬儀の司会を務めた大江が新聞へ寄稿した追悼文を「つまらない」「平和と民主主義と基本的人権の文壇官僚みたい」と江藤が一蹴した。
曰く、大江の林達夫や師・渡辺一夫への追悼文についても「個人的な声」が認められないという。

江藤は大江を含む文壇に、野上の人物像に迫った追悼文を期待して肩透かしを受けた格好のようだが、上記の大江の言を参照すれば、大江は意図的にセンチメンタリズム・プライベートな言及を回避していたのではないか。
少なくとも、江藤が指弾するような文壇官僚的・政治的動機ではなく、「粘り強く悲し」んだ結果ではないかと思われるが、私が追悼文そのものを読めていないため、これ以上の不毛な推測は止す。

『百年の短編小説を読む』では、明治から昭和の短編小説、つまり鴎外から中上健次まで一気呵成にバサバサと切る。
多くの小説家が登場する本書だが、個人的に興味深かったのは、大江や古井が私小説の神様と呼ばれた葛西善蔵、そして葛西の影響下にある嘉村磯多、牧野信一に連なる破滅型私小説作家に繰り返し言及する点だ。
私は恥ずかしながら全然読んだことがなかったので、おっとり刀でKindleをポチりました。

『詩を読む、時を眺める』では、両者のキャリアの違いが整理され、その差分が外国語文学の翻訳に関わるということが確認される。
詩・言語・文体にまつわる問題が浮かび上がるなか、古井が「一旦ダメにならない作家はダメなんじゃない?」と問い、即座に大江が首肯する場面にはうーんと唸らされる。

『言葉の宙に迷い、カオスを渡る』では、またも詩と翻訳の話題で溢れる。
詩を本当に理解するためには、作者の生きた時代や作者自身を知らなければならないという意見が一致する。
何十年と同じ詩を読み続けて、少しずつ理解が進んでいく、それは詩人と読者との人生が重なり合い、読者の老年・経験によって解像度が増していくということ。

『文学の伝承』では、主題に関わる形で、大江が引退して余生を過ごせるか、小説を書かずに果たして生きていけるのかという不安を吐露している。
宮﨑駿なども、まさにこのような不安的・禁断症状的突き上げによって、引退を撤回でなく「断念」あるいは「遅延」し続けているのではないかと感じた。

私小説における主格の問題、<私>でも<僕>でもない、他者(Someone)を<I>に介入させる<わたくし>という主格において物語る自己表現の追求という、抽象度の高い話題は、先の蓮實・江藤の表層的な指弾を咀嚼しつつ読めば、面白い文学の立体が浮かび上がる気がする。

『漱石100年後の小説家』は、「俺の好きな漱石を上げていく」的なファンミーティング的対談である。
終盤、漱石の文学が始め、今なお残る近代の問題を現代人がいかに超えていけるかという難題について、大江の旧友であるエドワード・サイードの晩年におけるある種の楽観に大江が勇気づけられているという告白は、本対談をドラマティックに締めている。

古井は2020年、大江は2023年に逝去したが、ここで語られるテーマは今なおまったく色褪せていないどころか、常に新鮮さを伴っている。

『手塚治虫対談集』全4巻

手塚プロがKindleで販売している手塚治虫漫画全集には、手塚の対談集やエッセイ集も収録されている。これはとても嬉しい!

本対談集は全4巻で、多くは漫画家や小説家との対談である。
特に、漫画コレクターとしても有名な松本零士や、元漫画である小松左京などは繰り返し対談相手として登場する。
特に面白かったのは、2巻に収録されている松本零士を携えての、大城のぼるや小松左京との鼎談だ。これ自体が戦中・戦後の漫画史になっており、興味がある人であればずいぶん楽しく読めると思う。

それにしても、松本の手塚に対するサイドキック感は秀逸だ。
諸星大二郎、星野之宣との鼎談なども凄いカードで、とにかくアツすぎる。

4巻最後に収録されている、長男・眞との対談で、おおいに眞を手放しで褒める様は、父としての手塚を感じる珍しい一幕だ。

『手塚治虫 映画エッセイ集成』

こちらは立東舎から出ている、映画関連のエッセイ集。

手塚は漫画・アニメだけでなく、エッセイや小説も多く手掛けている。
ニコラ・ブルバキか?

コージィ城倉『チェイサー』は、架空の漫画家・海徳光市が、戦後の児童漫画界において手塚治虫を猛烈にライバル視し、「チェイス」せんとするモキュメンタリー作品だが、作中こんな一幕がある。

コージィ城倉『チェイサー』5巻

ほんとこれ。

ところで、手塚治虫が映画マニアであることはよく知られている。
手塚を回顧する関係者の自伝やエッセイにも、手塚が隙あらば映画を観るために仕事場から逃走したり、戦後当時禁制品であった払い下げフィルムを非合法に入手していたなど、エピソードは枚挙にいとまがない。

本書で語られていたかは失念したが、手塚が『2001年宇宙の旅』の美術監督を、キューブリックから直々に打診されていた話は興味深い。結局、手塚は経営者として長期間虫プロを不在にできず、その話は流れてしまった。
最終的な『2001年』の美術は未来的なビジュアルのケレン味よりも、航空宇宙工学に準拠することを主眼に置いていたので、手塚のタレントがはたしてミートしたかどうかには疑問符が付くが、キューブリックからラブコールがあったという事実は、紛れもなく手塚の国際的なプレゼンスの現れと言えるだろう。

『手塚治虫エッセイ集』1~3巻

上記のとおり、手塚はエッセイをたくさん描いている。

1巻は、上図『チェイサー』で海徳が驚嘆している手塚の自伝『ぼくはマンガ家』の再編集であり、手塚が語る手塚が確認できる。
手塚治虫は漫画家であるとともに、アニメスタジオ・虫プロダクションの経営者でもあり、二足の草鞋を履き続けていた。

手塚に経営者としての才が欠けていたことは今や周知であろうが、彼がスティーブ・ジョブズらに比肩する一級のビジョナリーであったことは、差し当たり異論もないだろう。
手塚世代の漫画家の多くは、映画やアニメーションの強い影響下で作品を物してきたし、どこまでも映像の引力下にある。漫画を読み漫画を描いてきた世代とは本質的に依拠するメディアが異なると言えるだろう。
本書は、往年のディズニーに受けたショックと感動を抱えたまま、猪武者のように走り続けた手塚の半生を知る重要なテクストである。

2巻はアニメーションを中心としたエッセイで、3巻は同業者である漫画家各位について言及していく。
手塚は急逝するまで雑誌連載を抱えていた終生のプレイヤーであり、後進に対しても異様な注意や関心を払い続けていた。萩尾望都の初期作『ケーキケーキケーキ』や、萩尾の小説の内容を理解して対談に望む様など、その警戒網は多岐にわたる。
この手塚の態度を大人げないと嘆じるのは簡単であるが、数十年第一線でプレイヤーとして時代と「チェイス」するには、ここまでのハングリー性が必要なのだと考えれば、同業者諸氏はゾッとするだろう。

手塚は逝く瞬間まで、漫画家としてのアガリを夢想だにしなかったに違いない。彼は生前、プロ漫画家の要件とは、描きたいものが全く無い状態で作品を上げられることだと語っている。「『鉄腕アトム』の手塚」だと思われることに辟易していた手塚は、自身のキャリアにおけるマスターピースを作ることでなく、キャリアを続けていくこと、「チェイスしていく」態度それ自体を目的化していた。

まさに創作の鬼であり、彼のような傑出した人物は、今後も現れないのではないか。

うしおそうじ『手塚治虫とボク』

漫画家・うしおそうじは、戦後から60年頃まで活動した児童漫画家であり、映像制作会社ピー・プロダクションの創業者である。

戦中派である彼は、元々東宝で映像制作を生業とし、映像作家の大石郁夫に師事した。戦後、東宝争議の激化とともに映像を離れ、収入の多い赤本漫画界隈でのしていくなか、手塚と知遇を得た。

本書が面白いのは、書き手であるうしおが手塚の年長者であり、作家としては同世代である点だ。
手塚を回顧する著作の書き手、その多くは手塚の後進(トキワ荘以降)やアシスタント経験者であり、どこまでも手塚への崇敬を排除できない語りになる。自分自身のキャリアが手塚漫画から始まっているため、これはやむを得ない。

また、うしおは手塚同様に、元クリエイターの経営者である。しかも、両者はアニメーション会社の経営者だ。アニメーションのプロであり、円谷英二からも一目置かれていたといううしおから見た、経営者・アニメーション作家としての手塚像は、手塚を知るための貴重な資料である。

ただ、うしおの実弟・鷺巣政安による後記が示すように、うしおもまた優れた経営者とは言えなかった。
本書は、一級の昭和アニメーション史としても希少な資料である。手塚に興味のない方でも、ぜひ一読をおすすめしたい。

夏目房之介『手塚治虫の冒険』

夏目漱石の孫、夏目房之介は漫画家、漫画批評家、大学教授などいくつもの顔を持つエッセイストである。

彼の漫画批評は独特で、物語の縦の筋よりも漫画のビジュアル、つまり描線や記号に強い関心を払っている。この観点は、プレイヤーである夏目ならではだ。

本書は手塚治虫の漫画史・漫画技術的な功績の評価と、手塚漫画の表現技法および手塚治虫という作家自身の創作的限界を追求している。
島田啓三や新関健之助に酷評された手塚独特の漫画技法が戦後の児童漫画において支配的、というよりも原理原則としてのフォーマットとなった経緯や、後進の作家との差分や、彼らから受けた影響による手塚漫画の進化を追う。

漫画家・手塚治虫がなぜ今に至るまで漫画家から尊敬を集めているのか、その理解を助ける1冊である。

武田綾乃『響け!ユーフォニアム』1~3

『響け!ユーフォニアム』は、主人公・黄前久美子が高校の3年間を吹奏楽部の活動に打ち込む青春小説である。
京都アニメーション制作のアニメシリーズを視聴した方も少なくないだろう。

『ユーフォ』1~3は、1年生時代の黄前久美子を中心とした物語である。
本書とアニメシリーズを隔てる大きな点はいくつかあるが、黄前の内省が地の文として読める点、また作中の多くの人物が京都弁で話す点が特筆される。

私はアニメシリーズから入ったクチである。
アニメ『ユーフォ』では、表面的に伺うことしかできなかった黄前の心情がダイレクトに読める点は、八方美人のきらいがあり、本心を他人に見せない黄前に対して、読者が感情移入し易い点だ。

方言のみならず、キャラクターデザインも原作とアニメとの間で少なくない違いが認められる。
雑に言えば、原作の登場人物の多くは「ちゃきちゃきしている」というか、感情の露出がアニメシリーズよりもストレートだ。
両者を比較すると、アニメシリーズが、単に方言を標準語に変えただけでなく、その過程でキャラクター一人一人を掘り下げ、換骨奪胎しない範囲でキャラデザ調整や演出を加えていることがよく分かる。

細かい台詞回しや、アニメオリジナル展開を意識しながら、両作を楽しむと様々な発見が得られるだろう。

安野モヨコ『還暦不行届』

2005年に刊行された『監督不行届』から18年の月日を経て、還暦を迎えたカントクくんとロンパースの日常が帰ってきた!!

というわけで、庵野秀明・モヨコ夫妻の日常を綴ったエッセイが本書だ。
前作はエッセイ漫画だったが、今回は基本的に随筆の形式を採っている。安野は『くいいじ』をはじめ、エッセイを何冊も出版しており、面白いので未読の方は是非。

『監督不行届』以降、夫婦はそれぞれ体調不良によって休筆や休養を余儀なくされる。『還暦』では、安野と庵野秀明双方が、お互いの格闘を隣で見守りながら、自身の励みにしていたことが伺い知れる。

『監督』の続編を待望されて本書の刊行に至ったと「あとがき」に記されている。読者の多くは、創作に苦悶し、メディアの前ではいつも険しい顔をしているように思える庵野秀明の素顔に触れたいと思ったのだろうか。
そんな読者を、庵野秀明は訝しげに、あるいはいささか冷ややかに見つめるかもしれない。
いや、というより、読者は「安野が庵野秀明に投射する眼差し」を期待しているのだ。『監督』が好評だったのは、他ならぬこの眼差しに理由があるだろう。

「カントクくん」は、安野の視線を通じてはじめて立ち現れる存在であり、我々読者はこの優しい眼差しが照らし出す、やはり優しい「カントクくん」という古い友人と、久々に挨拶を交わすことができたのだ。

渡辺秀樹『芦部信喜 平和への憲法学』

現・信濃毎日新聞編集委員の渡辺秀樹は、幼少期に法学者・芦部信喜の生家とご近所だった。

芦部信喜とは、芦部憲法で知られる岩波書店『憲法』の著者であり、本書は芦部の没後もその弟子らによって改訂され続けている。

本書は、芦部の生涯をたどりながら、彼が取り組んだ刑事事件における違憲論争や、近年発見された議事録に基づく靖国懇談会に臨む芦部の態度など、いくつかのトピックを題材に芦部信喜という人物を掘り下げていく。

芦部は上述したうしおそうじとほぼ同年代の戦中派である。
うしおは太平洋戦争後期、偶然に海上での戦死を逃れ九死に一生を得ている。このとき、師・大石郁夫と、うしおの代わりに同行した後輩は戦死している。
手塚治虫も、終戦間際に神戸市内に「これから神戸を爆撃します」という米軍が空から撒いたビラを見て、我が生命もここまでかと観念したという。

芦部も陸軍金沢師団に入営し特別攻撃隊の選考を受け、結果的には失格している。合格していれば、戦後の芦部憲法は存在しなかったかもしれない。
この世代の若者に共通する戦争体験は文字通り「必死」であり、死は日常と常に隣り合わせであった。

そんな芦部の平和に対する祈念は平時に生まれ育った我々のそれと根本から違えるほどのバックボーンを持っていると感じる。
どこまでもハングリーな平和への想いは決して机上の空論、思想論にとどまらない。

自民党の悲願とも言える、改憲を唱え続けた故・安倍晋三元総理が、2013年に小西洋之参議院議員からの「芦部信喜を知っているか」という質問に対し、「知らない。私は憲法学斗ではないから」と答えた逸話がある。

芦部を知らずに憲法の何を語るのか、現行の日本国憲法の本義、意義、大切さを本当に為政者は理解して改憲論を振りかざしているのか。
以前noteで紹介した樋口・小林『「憲法改正」の真実』のように、アカデミズムにおける改憲・護憲派がともに、自民党の改憲方針について警鐘を鳴らし疑義を呈し続けているのは、少なくとも彼らにとって全く納得感を欠き筋の通らない為政者の憲法に対する不真面目な態度による。

誰がどう悪いという話をこの場でするつもりはないが、我々は誰かの意見の尻馬に乗る前に、まず教科書を使って静かに、地道に泥臭く勉強するところから始めなければならないと思う。

『総特集 望月ミネタロウ』

望月ミネタロウを読んだことがあるか。

かつては望月峯太郎のペンネームで、映像化された『バタアシ金魚』や『ドラゴンヘッド』を著して人気漫画となり、近年はBDの国際的な読者層からも評価を受ける『ちいさこべえ』、初のエッセイ漫画である『没有漫画 没有人生』などを発表している。

キャリア初期から一貫して、望月の作品的特徴はファッションなどの非常に細かいディテール描写にあるが、作風自体は大きく変化している。

初連載作品『バタアシ金魚』はセンスの塊のような作品で、そこには明確な縦の筋は存在しない。
作風としては、後年の松本大洋『ピンポン』に近く、というよりは松本に少なくない影響を与えていると思われる(望月もまた、松本から影響を受けている)。

元々、フランスのBD雑誌「メタル・ユルラン」の英語版を長年定期購読し続けていた望月は、『東京怪童』以降にBDの技法を作品に導入し、『バタアシ』などとは異質な作風を練り上げていく。

望月の作風は驚くほど変節していく。
大胆に作風を変化させた(というより、作風に幅がある)作家といえば、山上たつひこやジョージ秋山、古谷実など数えきれないが、望月は本当に作風の引き出しが多いように思う。

一部の作品だけを切り出しても、それをもって望月の代表作と言い切るのは難しい。本当に、作品ごとにカラーが違う作家なのである。
いずれもオススメだが、望月を初めて読む現代の読者には、山本周五郎原作の現代劇『ちいさこべえ』を推薦したい。

若さってガンバリズムだっ!!


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