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2023-06-28: 上伊那ぼたんが握るチェーホフの銃

当月は上伊那ぼたんの新刊も発売され、たくさんの感想をWeb上で拝見している。とても嬉しい。

このインナー、わりと手癖で描いてます

たまに目にする感想の一類型として、「作中に出現する情報全てを理解できないので、作品が十分に楽しめていない気がする」というものがある。どういうことか。

たとえば、私たちは日々、一定のコンテクストを共有して会話を成立させる。
私たちがビル・エヴァンスやスラヴォイ・ジジェク、あるいはウィリアム・フリードキンについて語るとき、<この世界の私たち>は第四の壁を想定した、説明的な語り方を採らない。
私たちにとっての”自然な語り”とは、固有名そのものが無遠慮に布置され、コンテクストを共有しない第三者にとって容易に理解し難い<コード>の体をなす。

『上伊那』では、上記のような固有名を中心に据えた会話がしばしば交わされる。
読者諸兄は、自分にとって未知の固有名が、あたかも会話の中で重要な意味を持つかのように提示され、にもかかわらずなんら作中に補遺が用意されていないことに、”標準的な漫画としての体裁”からの乖離を意識されるのではないか。

なによりも、散逸する固有名詞や情報に衒学趣味の臭いを感じ、ややもすれば読書への集中を阻害する負の因子だと感じる方もいらっしゃるかもしれない。

『なんとなく、クリスタル』において、田中康夫は大量の固有名詞群に対し、一対一対応する注釈を併記することで、膨大な固有名の無遠慮な滂沱と、それら固有名が包含する80年の時代性を紙の上に固着した。

しかし、『上伊那』は基本的に(編集側の要望を除けば)注釈は併記しない。『上伊那』は時代を描き切ることに関心がない。登場人物たちが交わす台詞の固有名について、そもそも強い意味を付与していない。
固有名は、変数のままであって構わない。

トーガやMM6、サカイといった固有名は、私たちにとっては、実はx、y、zや、あるいはμ、τ、γに置換して一向に構わない。むしろ、本質はそちらにある。
私たちは、誰も、彼女らの会話の内容、その意味を適切に理解する必要はない。未知の言語で歌われる曲を聴くように、音だけに集中し、その音がもつ感情を嗅ぎ分けることに集中すれば良いのではないか、と思う。

「チェーホフの銃」という物語上の伏線に関する技巧がある。
上伊那ぼたんには、本筋に影響しない固有名や情報が物語的ノイズとして散乱している。
しかし、私たちの会話とは、常に直線的でなく、様々なノイズや、文脈の跳躍と誤解を包含している。それは物語が要請する整理された情報伝達の一形態ではないからである。


特別なことをこの場で示したいわけではない。

たった一つお伝えしたいのは、「分からないな」という読書体験自体が、『上伊那』においては設計された読書状態であり、「すべて分かる」という神(作者)の視点に読書上の特権的価値はないということである。

『上伊那』は今後もおそらく、「わからない」会話を都度展開するだろう。
「わからなさ」と、それを窃視する密やかな愉しみを、ぜひ味わっていただきたいのです。


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