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2023-12-12: 私の漫画史

漫画の話です。

幼児期

生まれ落ちたその時には漫画を読んでいた。
それは嘘だが、物心ついた頃には、すでによく落書きをしていた。

身辺に漫画本の多い家庭で育ったが、一人で漫画を読むようになったのは4歳頃だ。
めっちゃ黒いオシッコが出る病気で入院した際、隣の病床で療養していた、少し年上の女の子から『クレヨンしんちゃん』を借りたのが、すべての発端である。だからこれは全部、そいつが始めた物語だ。

ちなみに、その子とは特に「大きくなったらトーダイに入ろうね♥」とか安易な約束は結んでいない。危なかった。

退院した私は、『ドラえもんふしぎ探検シリーズ』や、当時アニメ放映していた『魔法陣グルグル』に耽溺した。

なぜか、『グルグル』のおまけページの模写に凝っており、本編でなくおまけを模写しまくっていた。
『グルグル』に性癖を植え付けられた可能性は大いにある。ジュジュとか。ケベスベスとか。だめだよ。

私は、小さく切った紙に漫画を描いて、ホッチキスで留めて冊子にしていた。
主人公のコアラ(有袋類のやつ)が、攫われたヒロイン・コアラを探索する旅に出るも、結局彼女は惨殺されていた……という筋だ。最悪。

なぜそんな漫画を描いたのか、まったく動機に覚えがない。ただ事実だけを記憶している。ストレートにヤバい子供じゃん。

『クレヨンしんちゃん』のシロの波々な輪郭が上手に描けず、癇癪を起こして泣いた記憶がある。そんなことで泣くな。情緒不安定すぎる。

小学生

小学校に上がる頃には、親が持っていた浦沢直樹、渡辺多恵子、佐々木倫子、吉田秋生あたりを繰り返し読んでいた。

親戚の家では、古谷三敏や高井研一郎といったフジオプロ系の作家や、新谷かおる、あるいは須賀原洋行や臼井儀人らの四コマ漫画、そして川原正敏や細野不二彦といった作家を知る。
子供が読む漫画じゃないって。

小学2年生のとき、運動会が嫌で気が塞いでいたためか、親がコロコロコミックを買い与えてくれた。以降、毎月コロコロを購読するようになる。
雑誌は端から端まで、読者コーナーの隅々まで目を通した。少なくとも、当時のコロコロはホビー誌としての性格が強く、ホビータイアップの漫画は無論面白く読んだが、犬木栄治や上山道郎、橋口たかしの連載がとくに楽しみだった。
強制的に霧崎マイによって性癖を植え付けられる。

別冊コロコロは購読こそしていなかったが、上山徹郎の作画力の高さに舌を巻き、雑誌のカラーの違いを幼心に嗅ぎ分けていた。
嫌な漫画読みになる萌芽である。

やがて、弟も雑誌を欲し、我が家は追加でコミックボンボンを購読するようになる。
コロコロが「うんこ」なら、ボンボンはさしずめ「おっぱい」であり、誌面は匂い立つ「癖」で満たされていた。
藤岡建機、タモリはタル、ほるまりん、藤異秀明、横内なおき……。

少しずつ少年漫画にも手を広げていく。
ジャンプなら、冨樫義博、和月伸宏、尾田栄一郎、高橋和希、小畑健、武井宏之、矢吹健太朗……。
サンデーなら、高橋留美子、青山剛昌、久米田康治。
マガジンだと、藤沢とおる、赤松健。

初めて読んだジャンプ本誌に、『明稜帝梧桐勢十郎』に繋がる短編『ユニファイ』が掲載されていたことを覚えている。なつかしっ。

とくに、久米田康治と赤松健から決定的な影響を受け、以降積極的に読む漫画の方向性を確定されてしまった。
ちょうど『行け!!南国アイスホッケー部』の新装版が刊行されていた時期であり、それに手を出してしまったため情操教育に影を落とした。

手塚治虫も読むようになり、『ブラックジャック』『三つ目がとおる』『海のトリトン』あたりを読む。ワトさんに性癖を植え付けられる。
駄目だって治虫は。

父が買った『新選組』の文庫に、『新・聊斎志異』が掲載されており、これが本当に恐ろしかった。
完全にトラウマであり、今でも「いびつな笑顔を描かせたら一番恐ろしい」作家といえば、私の中では手塚である。ほんとに止めて欲しい。
治虫は駄目。

当時、るろうに剣心をよく落書きしていた気がするが、当時の落書きはすべて廃棄されたため、定かでない。
顎の尖った侍を描きまくる子供。

中学生

中学2年に電撃大王を購読し始めたことで、だいぶ緩やかに、かなり確実に全てが狂い始める。
そもそも、近藤るるる目的でファミ通を購読していた時点で完全にその素養はあるのだが。せめて『いい電子』にしろよ。

また、エロ目的で購入したWindows100%(というアングラ系PC雑誌があった)で木尾士目を知り、芋づる的にアフタヌーンの存在を知ってしまう。無論、田丸浩史を読み始める。

さらに、峰倉かずや、内藤泰弘、広江礼威を読み始めたことで、Gファンタジーやヤングキングアワーズ、GXにアンテナを貼るようになってしまう。
気持ちのいい漢たちが出てきて、タバコを吹かしながら発砲する漫画を浴びるように読む。フフーフ。

そういう時期なので、平野耕太や田島昭宇に無論強い影響を受ける。ズパッ。

電撃大王は決定的で、あずまきよひこ、ばらスィー、相田裕、佐々木少年、桂遊生丸など片っ端から連載陣の漫画を読み始める。
電撃帝王という姉妹雑誌もガチで読んでいた。しゃあ、POP、へかとん、田中久仁彦……。

山下いくと、八房龍之助、井原裕士などずいぶん楽しく読んだが、とりわけあずまきよひこの影響力は絶大で、『あずまんがリサイクル』『あずまんが2』を購入してパイオニアLDC(ジェネオン)を知る。淫魔の乱舞は回収です。

上山徹郎が『ミツヨシ』を掲載している時期であり、なにか奇縁を感じる。

佐々木少年経由でTYPE-MOONを知り、どんどんソッチ系へ沼っていくのだが、今回は立ち入らない。

『ラブひな』や『あずまんが大王』みたいな絵が描きたいが、少年漫画的な男ばかり描いていたため、まったく女性が描けず、下図のような女体を描いてしまう。

『東京ヒゴロ』2巻

この頃から、狂ったようにラノベも読み始めるが、その話もここでは省く。

高校生~浪人生

ブックオフ巡りとまんだらけを覚えてしまったため、いよいよ手に負えない勘違い漫画オタクが爆誕する。

あずまきよひこの衝撃を振り払うかのように、さらなる上位の呪いを求め、海藍と氷川へきるを発見してしまう。このため、完全に萌え四コマ漫画の冥府魔道に堕ちることとなる。

冬目景と沙村広明に出会い、特に冬目景に強く影響を受ける。
「俺も四季賞に応募する!」と息巻くが、電撃大王に毎月イラストを送ってキャッキャしているだけであった。フジリューには遠く及ばない。

マガジンZ系ではウエダハジメと熊倉裕一に殴られる。
「ファウスト」を購読していたので、ウエダハジメにはそちらでも再度殴られる。笹井一個先生の漫画に強烈なエロスを感じた記憶がある。

ペンタブを購入して、ふたばちゃんねるの落書き板でイラストを投稿するようになったのはこの頃であった。
その後、東方Projectのお絵描き掲示板であった「クーリエ」を知り、レベルの高さに舌を巻き、世の中にはこんなに絵が上手い人がゴロゴロいるのだと、遅まきながら気づく。

浪人中も、コソコソとお絵かき掲示板で遊んでいた。

大学生~大学院生

進学して即漫研に入るも、人間関係だけ構築して半年程度でスッとリタイアしてしまう。

完全に萌え四コマに脳を焼かれているため、Gペンと原稿用紙で革命を起こすべく処女作を一気呵成に書き上げ、四コマ漫画で有名な出版社に持ち込みを敢行。

よくもまあ本社へ持ち込みなぞ出来たものだと感心するが、世間を知らないがゆえの無謀な蛮勇が事を成した。

はじめての持ち込みは、体感で数時間にも感じられたが、実際には15分程度。
「まぁ、また描けたら持ってきてください……」という言葉を耳に残響させ、私は山手線の車両内で立ちすくんでいた。狐につままれたような心持ちである。
え、それだけ?

持ち込みの前後で、私を取り巻く状況はなにも変節しなかった。
1ヶ月かけて執筆した原稿は、15分の査読を経て、その役目を完全に全うした。

寿命が15分の原稿。
冷たい汗が夏の背中を濡らした。

「また描けたら……」という言葉を字句通り受け取った私は盲目的に、一月に一度の頻度で四コマ漫画の原稿を8P仕上げ、持ち込みを行い、15分でサヨナラする日々を過ごした。

たまに、黎明期のPixivにイラストを公開し、多少の承認欲求を満たしていた矢先、「XXさんの絵柄パクりはやめてください」と荒々しいコメントでピュアな心を滅多刺しにされて意識不明の重体に陥ったり、先輩のサークルの売り子をしてみたりと忙しない日常を送ってみた。
チクチク言葉はやめましょう。

しかし、やはり原稿の寿命は、何度持ち込んでもキッチリ15分であった。

季節が一巡したころ。辛抱強く21世紀の精神異常者の面倒を見てくださっていた編集さんが異動となり、別の編集さんが持ち込みを引き受けてくださった。

彼は、手渡した原稿にパパッと目を通し、開口「あなたはデジタル執筆したほうが良い。アナログはよっぽど上手い人でなければ、雑誌の他作品と比べて見劣りするので」と仰った。

他にも、「弊社は即戦力の画力を求めている。なので、もっと絵が上手くなってから原稿を持ってきて欲しい」旨を伝えられ、これは事実上の絶縁宣言であると受け取った。
ここまでハッキリ言ってもらわなければ、分からなかったという話だが。

私は朦朧とする頭を抱え、山手線のつり革に体を預け、静かに悔し涙を流していた。

見えないハンマーで頭を殴られたような衝撃、足元のゆらぎを感じていた。

海藍先生のように商業誌で四コマ漫画を描きたいという淡い願いの灯火が向こうでかすかに揺れて今にも消えそうであった。

ヤケクソになった私はあっさりと持ち込みをやめ、インターネット落書きマンと化した。BPM200くらいのゴボゴボしたメタルを聴きながら、毎晩Intious3で恐ろしく基礎を欠いた落書きを続けた。

もう「学生時代に打ち込んだことは東方Projectとねこねこソフトです」でやっていこうかと思っていた矢先。

アニメが絶賛スマッシュヒットしていた『けいおん!』にハマり、なんとなくWebで漫画を公開し始め、たまにCG定点観測に拾われてはキャッキャしていた。牧歌的時代である。

当時の

すると、上記の漫画を読んだ編集者からEmailにてコンタクトがあり、アンソロジー執筆を依頼いただける運びとなった。
この時の、「拾う神あり……」感は筆舌に尽くし難い。
そんなことあるんですねぇ。

その後、美少女ゲームのアンソロジー参加を経て、まんが4コマぱれっとにて2年に渡り、はじめての商業連載をさせていただいた。
修士課程の2年間と丸かぶりであったが、よく並行したものである。

まあ、今の方が比較にならないほどマルチタスクでオーバーワークなのだが。なにを落ち着いてんだオラ……。

その後、なんやかんやありつつも、いまだに漫画描かせていただいてます。
ありがとうございます。



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