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2024-03-03: 反AIと特権意識の関係について考える


はじめに

先日、『絵師の立場から言いたい「反AI」の人の態度について』と題して、以下の記事がnoteに投稿されていたことを、遅まきながら知りました。

私もしばしばnoteで言及している画像生成AIについて、それを取り巻く世論や主張に対する意見記事です。

一読して私が「おや」と思ったのは、本稿が生成AIがもたらす数種の課題(以下の拙稿でも紹介した、Ziv Epsteinらの課題区分に認められるような)そのものを主題としていない点でした。

https://note.com/tonarinohey/n/n2fe9aa0eea78

記事を執筆された「野良のアマクリエイター」氏(以下、”野良氏”)の当該記事における主張の一つは、平たく言えば「特権意識を持った絵描きが反AI活動をしている。それは現行法的に負け筋だし絵描きの印象も悪くなる」というものです。

私は自身やその身辺を省みて、「そもそも、絵描きの特権意識とはどのようなものだろう?」と思い、考えてみました。

なので、本記事は「生成AI」を主題とした記事ではないです。念のため。

私について

私は「塀」という名義で『上伊那ぼたん、酔へる姿は百合の花』という商業漫画を執筆しています。

また、ITスタートアップでソフトウェアエンジニアをしている兼業作家です。

昨今の生成AIを取り巻く国内外の課題に対する私の立場を以下に示します。

  • 機械学習研究の発展や実用化に賛成です(機械学習の発展に反対しません)。

    • 私も院生時代は機械学習が研究対象でしたが、それは昔のことであり、最新の専門的な技術・法・美術倫理的知見は乏しいです。

  • AI利用においてはモデル学習用のデータセット利用において、あくまで「悲しむ人がいない」ことを望んでいます

    • これは、「現行法上問題があるか」という法解釈の話ではありません。素朴な人間の話です。

    • 「悲しむ人」はクリエイターに限りません。機械学習技術の研究者やエンドユーザーも含みます。

    • 「そんなの無理だよ。技術発展史には犠牲が必須なんだ」という意見もあると思います。しかし、歴史を大義名分とした強引な問題解決方法を、私は引き受けられません。

  • 個人的にイラストへのAI利用は興味なし。

    • 手で線を引くのが好きなので。それだけです。他人にこの思想は強要しません。

明るく楽しく、持続的発展可能な未来のAI利用を、各分野における専門家の方々や、エンドユーザーとなりうる皆さんと一緒に考えたいと思っています。

本稿で触れないこと

この記事では上述のとおり、「絵描きの特権意識」にフォーカスして考えてみようと思います。
そのため、野良氏の主張を個別に確認したり、生成AIを手広く論じることはしません。

「特権意識」とはなにか

「絵師と絵師から生み出されるイラストは世界で一番素晴らしく、何よりも優先され、保護されなければいけない」
「絵師以外のクリエイターはすべて絵師の下位互換であり、絵師は創作者の頂点にいる」

野良のアマクリエイター『絵師の立場から言いたい「反AI」の人の態度について』

野良氏は、「一部の絵師」が上掲引用に示す特権意識を持っていると指摘します。

無論、野良氏の主観に他なりませんし、私にはこのような主張をする絵描きと出会った経験が、幸福にしてありません。
しかし、このような意識を持っている絵描きの不在は証明できないので、この点において野良氏の主張は否定できないでしょう。

そして、「創作する人は偉い」「特に絵描きは数ある創作行為の中で最も偉い」という考え方は無根拠です。
そのような意識を内に秘めるのは結構ですが(思想は自由なのですから)、それを他者との関わりの中で展開し、あまつさえマウントを取るのは間違っていると思います。

特権意識と特権の違い

ところで、特権意識と特権は異なります
前者は「鼻にかけるような考え方」であり、後者は「実際の権利」ですね。

たとえば、私がミュージシャンとして活動することで、世のミュージシャンから尊敬されたり、ミュージシャンをしていなければ関わりが無かったような人物と知遇を得ることがあるでしょう。

私が電力会社の社員であれば、余人が知り得ない世界の電力供給に関する情報を素早く知ることができるはずです。

私はこれを「活動をきっかけとして得た権利」だと考えます。
これは羨まれてこそ、否定されるべきものではないですよね。

ただし、この「特権」を享受する主体は特別な存在であり、非特権の人よりも「偉い」のだ……という考え方は、危険な勘違い、つまり特権意識だと思います。
「私は政治家だから総理大臣と会える」という特権、「総理大臣と会える私は会えない人より偉い」という特権意識は別、という意味です。

野良氏が言及されているのは「絵描きの特権」ではなく、「絵描きが抱える特権意識」だと私は解釈していますので、ここからはその前提において考えましょう。

反AIと絵描きの特権意識

1. 突如登場する平等論

野良氏の記事は、「絵描きの特権意識」に関する説明まではわかりやすく、私もアグリーです。

しかし、そこから画像生成AIと、そのエンドユーザーやステークホルダの話に繋がります。

つまり「絵師は保護されるべきだが、同じようにAI関連の会社、AIクリエイターも保護されるべきである」
まずここがスタート地点になります。

野良のアマクリエイター『絵師の立場から言いたい「反AI」の人の態度について』

私はこの「スタート地点」なる前提が腹落ちしません
まず、「絵師は保護されるべき」という主張が分からない。何(誰)による、どういった保護なのでしょうか。

そして、平等論的に「AI関連の会社、AIクリエイターも保護されるべき」という主張を野良氏は導出しています。
「絵師は特権意識をもつべきでない」という主張が、この平等論を導くのでしょうか?

「保護」という語を棚上げした上で忖度して読むならば、野良氏は「絵描きがその権利を主張するなら、AIベンダーやAIエンドユーザーだって権利を主張して良いだろう」と言いたいのではないか。
これならば、私もアグリーです。特権意識などと独立に、万人には権利を主張する「権利」があるはずです。

2.「絵描きの特権意識」を捨てるべき主体は誰か

野良氏は「個人的な意見」とあらかじめ注釈をつけた上で、AI反対派(反AI?)は「絵師は特権階級。という意識をまず捨てるべきだった」と指摘します。

AI反対派と反AI、それぞれがどのような思想や目的を持った集団なのか、野良氏は当該記事中で説明されていませんが、「AIの全面規制」を目的とした「絵師を特権階級だと考えている」方々を指す、という理解で良さそうです。
そのため、以降は「反AI」をわかりやすく「AI全面規制推進者」と表現します

これを読む限り、野良氏が難ずる「AI全面規制推進者」集合には、私のような「機械学習の発展や社会利用を人類の発展として歓迎する一方、学習データの簒奪的・権利侵害的な活用によるアルゴリズムの実用に懸念・反対」という立場の人間は含まれません。

ここまでで、野良氏は「絵描きは、特権意識をあらためよ」と主張しているのか、「AI全面規制推進者は、”絵描きは特権階級”という認識をあらためよ」と主張しているのか、いささか混乱を禁じえませんが、恐らく双方でしょう。

3.特権意識と無知・意識の低さとの違い

自分は別ジャンルのAIでキャッキャ遊んでるのに、同じ口で生成AIを批判してる絵師を見て

「これだから絵師様は…」と別ジャンルのクリエイターに愚痴られたことが複数回あります

野良のアマクリエイター『絵師の立場から言いたい「反AI」の人の態度について』

野良氏は「自分は別ジャンルのAIでキャッキャ遊んでる」絵師が生成AIを批判している実例を挙げ、絵描きの特権意識の表出であると指摘しています。

たとえば、声優や配信者、歌手の声を当事者の許諾なく学習したAI音声によって作成された音源コンテンツを、YouTubeなどで視聴してしまうような状況を指していると思います。

私がデータセットの問題を考える際、上記のようなAI音声やAI動画、AI文章、AIプログラミングなどと、画像生成AIとを分けて(あるいは無視して)しまうことは、ダブルスタンダードに該当するでしょう。
これは不誠実な態度です

ただ、私見では、ダブルスタンダードな態度は自覚的な特権意識というよりも、無知や浅慮によって引き起こされるのではないかな、とも思います。

機械学習技術は私たちの生活の各所で、様々なアルゴリズムが、様々な方法で利用されています。
これらは十把一絡げで論じられるものではありませんが、機械学習によって実現された種々の便利で楽しい技術が、いったいどう実現されているのか、私は少しずつ皆さんと学んでいきたいです。

4.無自覚な特権意識

これは私自身に対する自戒でもありますが、自覚的な特権意識に対して、無自覚な特権意識もあり、これには日々自省する必要があると思っています。

「俺は東大出てるんだから偉いんだぞ」と吹聴するのは自覚的な特権意識ゆえですが、「彼、大学出てないのか。かわいそうだな」というのは、無自覚に大卒という学歴を特権的に扱っている気がします(あまり上手い例ではないかも)。

卑近な例で言えば、私が「絵描きがわざわざAI擁護的な発言、するかなぁ」なんて思ってしまったら、それは無意識下に「絵描きはこういう考え方をする・できる」と選民的なバイアスに自縛されている証左かもしれません。

野良氏の記事に対しても、初読時は「クリエイターがこんな観点でこんなことを書くかなぁ」と猜疑してしまいました。
私のそれは、氏に対して敬意を欠いた失礼な言いがかりです。すみません。

おわりに

私は、Xにおける野良氏の記事へのフィードバックを読み、少なくない人が「絵描きって特権意識持ってるって、私も実は思ってた」「文筆家など、他の創作者を下に見ている人がいる」という感想を述べているのを目にしました。

ええっ、そんなことあるのか? と思う一方、私も上記のような猜疑を抱いた手前、他人事ではないよなぁと感じ、一筆とった次第です。

私は一切絵描き全体を代弁しませんし、本記事で申し上げていることはすべて私個人の意見です。
その上で、少しこの記事の主題から逸れますが、「絵描きが全員、今後将来一切の機械学習技術を完全に規制したいなどと思わないで欲しい」と主張しておきます。

最後に。

野良氏の記事を初読時に「あれ?」と感じたのは、記事のはじめに「将来的に安心して生成AIを使えるなら、自分の創作に取り入れていきたい」と述べつつ、「残念ながら今の法律では無断での学習は合法であり、生成AIの学習も合法」と記載している点です。

現行法で無断学習が合法でも、野良氏にとってそれだけでは「安心して生成AIを使え」る必要条件を満たさない、ということでしょうか。
この場合、野良氏にとって「安心して生成AIを使える」状況とは、「作品の無断使用に異議や反対を申し立てる人たちが消えて、誰も文句を言わなくなった」状況の到来なのかな、と思いました。

あるいは、「データセットがクリーンな(データの無断使用がされていない)新しいAI」の登場を期待されているのでしょうか。

私は氏の立ち位置が分からず、混乱した次第です。



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