鬱病の母が『一緒に死のう』と包丁を向けてきた話
今日9月10日はWHOが定めた『世界自殺予防デー』だそうだ。
Twitterで先日、この話題が回ってきて僕は自分の過去を思い出していた。
今まであまり人に話してきたことはなかったけれど、このタイミングで書こうと思い、過去の自分の気持ちを整理しようと思う。
僕が小学生の頃、母は重度の鬱病だった。
原因は様々あったが、1番は人間関係に疲れてしまい、思いつめてしまったようだ。
小学校低学年だった僕は、鬱病の意味はあまりよくわかっていなかったが、母親の様子がおかしいことは気づいていた。
鬱病と一口に言っても症状は様々で、重度のものから軽度のものまで鬱病という言葉が差す範囲はとても広い。
母は最初こそ元気がないくらいの様子だったが、段々と症状は重くなっていった。
僕の記憶の中にあるのは、母がテレビや鏡、ガラスなどからたくさんの人がのぞいていると言ってそれを叩き割ろうとしたり、外に出ればみんなが私の悪口を言っていると信じ込み、激昂している姿だった。
父親の帰りが1分でも遅くなると、事故にあったに違いないと泣き喚き、外に飛び出してしまったりもした。
突発的に起こるパニック障害のような症状もあり、奇声をあげて泣き叫んで倒れ込み救急車を呼ぶことも1度や2度ではなかった。
そんな母との生活に、家族全員でケアをした。
父親は朝早く僕たちの弁当を作り、会社へ出向き、帰ってきたら家事をして、休みの日は早朝から母と自然へ出掛けていた。
少しでも綺麗な景色を見せれば、母の心が和むと思ったのだろう。
僕たちも一緒に行く時もあったけれど、当時の僕は精神障害のある母と一緒に歩くことが恥ずかしかった。
そんな生活が続く中、母は何度も自殺をしようとした。
父にいつも『一緒に死のう』と言っていた。
するといつも父は決まって『死ぬ気ならいつでも一緒に死んでやる。でもまだもう少しだけ待ってみよう。智大や旬美(姉)がいるじゃないか。』
そう言って母をなだめた。
母は病気と葛藤しながらも決して僕たち子供に手をあげることはなかった。
どんなにパニックになっていても、病に犯されていても母親としての尊厳は本能的に守りたかったのだと思う。
そんなある時、僕が学校から帰ってソファで寝てしまい、ふと起きると目の前に母親が立っていた。
『一緒に死のう』
そう言う母の手には包丁が握られていた。
『もう皆で死ぬば楽になるよ。もう良いよね。』
今でもその時の母の顔は脳裏にこびりついている。
僕は一瞬、驚いたが少しも怖くなかった。
『お母さん、大丈夫だよ。いつでも皆で死ねるよ。でも、もう少し待ってみようよ。僕やりたいことがあるんだ。』
いつも父が言っているように僕は母にそう言った。
母はしばらく考えたあと、冷静になったのか包丁を置いて僕に泣きついてきた。
複雑な感情が揺れ動く中、僕は鬱病という病を心から憎んだ。
その頃から、若い人たちが平気で疲れた時に『鬱なんだけど』という言葉が大嫌いになった。
『マジで死ねよ』
冗談でもそういうことを言う人間が大嫌いになった。
僕は母を元気つける為に、学級委員長や生徒会など、とにかく目立つことをした。
子供ながらにできることはそれしかないと思ったのかもしれない。
そして母を笑わせようとたくさん冗談も言った。
少しでも母に笑って欲しくて、面白い話があればすぐ母に話していたしネタになりそうなことをメモして覚え、母に話した。
母はその後、家族全員のケアと母の強い気持ちによって5年の歳月をかけて鬱病を克服した。
お医者さんからは奇跡だと言われた。
母のような状態から回復することは珍しいそうだ。
昨日、母と電話をした。
『明日は世界自殺予防デーなんだって。そういえば母さん、昔色々あったよね』
『あったねえ。その時のことはほとんど覚えてないんだけど。』
『よく一緒に死のうって言ってたよね』
『うん、本当に死にたかったんだけど1人では怖くて死ねなかったの』
『病気、治って本当によかったね。自殺しなくてよかったね。』
『本当だね、死んでたらあんた達の成長を見れなかったよ』
『母さんが病気で自殺しそうになったこと、書いてもいいかな?
もしかしたら誰かの為になるかもしれない』
『良いよ良いよ。もし悩んでる人がいたら絶対に大丈夫って伝えてあげて。私が治ったんだから笑。』
『母さん、治ってから性格まで変わったよね笑。前はあんまり笑わなかったけど、今じゃテレビ見て腹抱えて笑うもんね』
『楽観的になったよ。あんなに辛いことがあっても治ったんだから多少のことでは動じなくなったね。』
母は鬱病という病気が原因で自殺をしようとした。
自殺をしようとする人の原因は様々だと思う。
きっと母のように病気でなくても単に辛くて死にたいと思う人もいるだろう。
ありきたりな事しか言えないけれど、僕は母が生きてくれていて本当に良かったと思っているし、自分も一緒にあの時死ななくて良かったと思っている。
でもそれは、後にならないと感じられない。悩んでいるその時は苦しさから逃れようと必死にもがいているかもしれない。
この世に生きている人は死を経験していないから、ちゃんとした事はわからないけれど、いつか自分で望まないでも死はやってくるのなら、それは自分で選択しなくても良いのではないかと思う。
生きていれば、母のように性格も変わって人生を謳歌できるかもしれない。
その希望は誰にでもあるものだ。
誤解を恐れずに言えば、1人の人間の死は他人の心の殺人でもあると思う。
母の周りには幸い、手を差し伸べてくれる人がたくさんいた。
きっとこの世に完全に1人の人間なんていないはずだ。
この文が誰かの助けになるかはわからない。
だけれど少なくとも、ここに自殺をしなかったから、今の幸せを噛み締められている家族がいることを知ってほしい。
僕は当時の経験があるからこそ、死について敏感だし、言葉についても敏感だし、自分が生きることの意味を考え続けたいと思っている。
母が望んだ、僕の成長した姿を今後も母に見せ続けたいと、心から願っている。
長文になってしまいました。
最後まで読んでくださった方、ありがとうございます。
毎日を大切に、こうして五体満足で文章が書けていることにも心から感謝します。
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