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会話が苦手な私

私は小さい頃から内気で、他人と話すのが苦手だった。

そのくせ家族に対してはわがままで、
勝手なことばかり言っていた。

つまり内弁慶で、人見知りが激しい子どもだったのだ。

そんな私にも友だちはいた。
福島の小さい村育ちだったから、保育所から中学卒業まで
ずっと同じメンバーの、一学年一クラスだった。

でもなぜだか分からないけれど、クラスの中に
この人とは話せるという人と、この人とは話せないという人がいた。

話せる人とは一緒に楽しく遊んでいるのに、
話せない人とは全くと言って良いほど話せなかった。

それが年々、話せない人の方が増えて行った。
なぜ話せなくなったのか分からない。

そんな私をみんなが避けるようになり、
中学を卒業する頃に、友だちと呼べるのは二人だけだった。


中学を卒業した後、その友だち二人とは違う高校に入った。

高校では当然のように、私は誰とも何も話せなかった。
加えて家から通える場所ではなかったため、ひとり暮らしになった。

私は高校の三年間、結局友だちもできず、
学校へ行ってもひとり、家に帰ってもひとりの生活だった。

ただひとつ救いだったのは、私はいじめられたことがない。

いじめをするようなバカな人が、周りにいなかったからかも知れない。


高校を卒業後、私は印刷会社に就職した。
研修中は東京で、研修後は福島に戻ることになる。

東京で数か月研修する間、違うクラスだったけど同じ高校出身の、
同い年の女子二人と同じマンションの部屋で生活した。

その頃も、私はほとんど話ができなかった。
でも、聞かれたことには答えられるようになっていたと思う。

他の二人は元々仲が良かったので、私はひとりでいることが多かった。
何度かカラオケなどに誘われたりしたことはあったけど、
私は人前で歌うのに自信がなく、毎回断っていた。


そんなこんなで研修も終わり、福島に戻り頑張って働いていた。
でも次の年、突然会社に行けなくなり、無断欠勤を続けた後に辞めた。

後で考えると、この時が最初のうつ病発症だったかも知れない。


その後、地元で再就職した私。
その頃も私は、ほとんど誰とも話せなかった。

地元だったせいか、会社の人たちに
同級生のお母さん方や近所の方が何人もいた。

みんなが私に気を遣って話しかけてくれた。
私はそれがイヤだった。
話しかけられてもうまく答えられない自分がイヤだった。



そして二十歳になり、成人式に出席した。

久々に会った中学の友だちは、二人とも大人になっていた。
変わっていないのは、私だけだった。

成人式の後、三人でカラオケに初めて行った。
そこで初めて人前で歌った。
ずっと苦いと思っていたビールも美味しかった。


その数日後、その友だちのひとりから、ある男性を紹介された。
それが後に初めての彼氏になった。

だけど一か月後にはフラれた。

理由は、親に交際を反対されていることを言わなかったから。
でもたぶんそれだけじゃないはずだ。

私はごはんを奢って貰っても、ごちそうさまも言わなかった。
電話で話してもほとんど沈黙だった。

ついでに言うと、体の関係が怖くて拒んだ。
これには理由があるのだけど、それも結局言えなかった。


好きだった。
沈黙が続いても、ずっと答えてくれるのを待っている彼が好きだった。

でも、このままの私じゃダメなんだ。

変わらなきゃ。

生まれて初めて、そう思った。


もっと綺麗になって。
もっと魅力的になって。
もっと話せるようになって。
変わろう。

そして、生まれ変わった自分で彼に会いに行こう。

そう決めた。


それからの私は、変わるために必死だったと思う。

まず、会社に行った時と帰る時、必ず挨拶をするようにした。
とても当たり前のことだけど、私はこれさえちゃんとできなかった。

それから車を買った。
それまでは会社から送り迎えのバスが出ていたので、
通勤には困らなかったが、仕事以外で家から出るようにした。

そして、これは良かったのかどうか分からないけど、
大手の結婚相談所に登録した。

とにかく誰かに出会って話をしようと思ったのだけれど、
誰かと出会う方法が他に思いつかなかった。

正直これは、本当に結婚をしたいと思っていた人にとっては
酷なことをしていたと思う。


そうして頑張っていた最中に、私は街で大好きだった彼を偶然見かけた。
彼は私には気付かなかったけれど、髪の長い綺麗な女性と一緒にいた。

後に彼を紹介してくれた友だちに聞いてみた。
彼はもう、他の人と結婚していた。

ショックだけど、仕方なかった。

そして私は思い切ってその彼に電話をした。
それから結婚おめでとうと伝えた。

彼は、そんなこと言えるようになったんだなと言って笑った。


友だちはその頃には、結婚して子どもを二人産んでいた。
その彼は、友だちの旦那さんのイトコだった。

しばらくしてその友だちの結婚式に招待された。
(子どもがまだ小さすぎたので、式は延期していたのだ。)
式場でまたその彼を見かけたけれど、もうお互い話をすることはなかった。


その後もいろいろあったけど、
その他の恋愛話は割愛させてもらうことにして、
私は25歳で今の夫と出会い、27歳に結婚した。

その頃の私は、以前の頃よりはずっと話せるようになっていたと思う。
でも誰とでも話せるわけではなく、まだこのままじゃダメだと思っていた。


そんなある時、私みたいに話せない人が他にもいるのではないかと、
ネットで探していて、場面緘黙症という言葉を初めて目にした。

それは、家では普通に話せるのに学校など家の外では話せなくなる
というものだった。

これは男女関係なく子どもの頃にそういうことがあり、
大人になるにつれ話せるようになることもあるらしい。

私ももしかしたら昔、その場面緘黙症だったかも知れない
と思った時、すごく気持ちが楽になった。


でも私の場合、話せていた人とだんだん話せなくなったりした後、
高校で全く話せなくなったので、なんとなく違うのかも知れない。

それに私は、授業などで声を出すことはできていた。

後でメンタルクリニックの先生に聞いてみても、
そうだったかも知れないねという答えしか貰えなかった。


私は結局、場面緘黙症だったのかどうかは分からない。
でも同じように話せなくて悩んでいる人がたくさんいることを知った。

前にもHSPの話題で書いたけれど、
自分だけじゃないと思えることがすごく自分の励みになるのだ。


その後もいろいろあって、アラフィフになってしまったけれど、
私は今でも会話が苦手だ。

1対1なら話せる相手とも、他に誰かが入るとやはり話せなくなってしまう。

でももう、私は無理して誰かと話して、だけど話せなくて
落ち込むということは、前よりずっと少なくなったと思う。


それは年齢のせいもあるのかも知れないし、諦めているのかも知れない。

だけどそれだけじゃなくて、
こんな自分じゃダメだと思うのを辞めたおかげだと思う。

こんな自分でも、私は私だと思えるようになったからだと思う。


これで良いとも思ってないけど、
こんな自分じゃダメだと思うと自分を否定することになる。

だから、ダメだと思う直せる所は直すようにして、
でも変われないことはもう、それが自分だと思うことにした。



ものすごく長くなってしまった。

恋愛話はあまりする気がなかったのだけど、
変わろうとするきっかけとして、書かないわけにはいかなかった。



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