【3月11日を生きて】
最近、生きることに無力な私を省みる日。
例えば。。。
もし、あの日、あの時間に、あの場所で、あの人と、あんな行動をしていたら。
後悔って、こういうことを言うのだと思う。
平素、取り立てて後悔を抱かない私が、人生でただの一日、あの日の自分を思い返して、もっと他に行動しようがなかったのかと自問する日です。
まさか。。。
突然に起こった未曾有の大災害。それから数週間、数ヶ月、年を跨いでも尚、元通りとは言えない傷や痛みを負って。
それでも残された私達は生きてきました。
その後を生かされてきました。
あの時、震災後を生きて行く者として、わかれ道で別れた彼ら。。。震災までを共に生き、けして不幸ばかりでなかったはずの、生きることに立派だった、震災と共に(存在し)活かし、活きることを選んだ尊い魂達に背中を押され、ずっと見守られるように。
私達は、震災後の世代として、彼ら魂に生み出されました。
生きて行くしかないじゃない。。。
死ぬまで生きるしかないじゃない。。。
そんな後ろ向きな人も、私も。
きっと、あなたは、あの時、わかれ道で手を振られた、あの魂の彼らに、何かを託されて生きている。
例えそれが、
死にたい。。。
生きていたくない。。。
って、破滅的に、生きること、に、否定的でも。
ありがとう。生きていてくれて。
命を繋いでいる、それだけで。あなたは立派なのです。
生きる側を選んだから。。。
生きながら悩むことを選ばされたから。。。
あなたらしく命を生きてきたことが、何よりの応答でした。
それから一日でも長く。。。生き抜いた私達は、その、託された想いに応えながら生きています。
生きていること。。。そのものが、立派なのです。
なかなか平等に、とは感じられない世の中だけど。
世の中に、価値のないものなんて、一つもないと思うんです。
存在している、ただそれだけで、価値(概念)は生まれるから。
本音建前。本音では、全てを許し、愛する(認める)って、人間業じゃない気がするけれど(笑)。
小さな心の中に沸いた、溶けない感情を滅することは、完全無欠とはいかないものかもしれないけれど。
全てのものに理由があるから、感情も生まれるわけで。
その一つ一つが、善と悪、完全にどちらかに振れられるほど、それは真っ白でもなければ、真っ黒でもない、と。
私はその混じり合った白と黒が、そのどれもが、単独で存在していないことを知っているよ。
きっと誰か、それを愛する人がいる。愛される価値がある。
自分が認めなくても。認める誰かが居る。
自分がそれに触れられなくても。触れられなかった背景や知り得なかった世界が広がっていて。
私一人のこの身体では、世界はあまりに大き過ぎて、すぐに不平や不満で、心は潰れて行くけれど。
きっと、魂には、全てを許し、受け入れる程の広さと永遠があるのだと、願ってやまない。
(震災から10日程して、出掛けた先で写した写真です。)
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