【統合失調症患者だった私が見た世界と、病気を越えて思うこと】

妄想型を発症した、2-3回目の病気中の私の話です。


元々、スピリチュアルな方面の話題が好きだった私は、この情報社会、あらゆるメディアを通して、様々な雑学をなぞっていたのだと思います。

ふとした瞬間に脳裏を過った、宇宙学や古代史、神話の一部が、スピリチュアルと混じり合うとき、得も言われぬ感動があったことをよく覚えています。

私はそれを「気付き」と称し、「新しい時代にステップアップしていく人間達の覚醒方法」だと信じていました。

私は、その(先駆者)となる。

その指導こそが、(救世主)である、私の務めなのだと。

そう信じ込んだ私は、毎日のように日記を記し、

膨大な量の文章を起こしました。

日々、新しい感動の波が押し寄せて、私を最高潮に幸せな気分へと誘ってくれました。

私一人の小さな頭の中の空間は、妄想が敷き詰める物語の一駒一駒で、どこまでも無限に広がっていきました。


今、思い返して。あんなに幸福だった時間はない。

病気の私は、世界中から愛され必要とされ、またそれを信じ込める、そんな完全調和の空間を作り上げていたのだから。


今省みれば、ただ一人の閉鎖的空間が、本人の(妄想)によって、無限ループしていただけ。

今、世界を動かせるだけの知識や経験などを私は、誠に残念ながら、持ち得ません。

今の私は、病気を(心が病んでいた期間)と見なし、病気の頃に、稀有な経験や覚醒が事実としてあった、とは、なかなか思えない。

私は全く、外部の世界と結び付いていなかった、と、思うから。

それは、神様や天使や、宇宙の存在達といった、今の時間に確かめられない者達、その世界、を例に上げても。私は確かに、結び合っていた、とは、思えないのです。


今の私なら、こう述べます。


神様や天使悪魔は。。。

居るかどうか、わからない。

私は、知らない。感じたことさえ、一切ない。

でも、ない、とも言えない。

知らない、ただそれだけ。


そしてまた、生きる人にそれ(神の境地)は、全くもって、触れられない。


今の私はとてもリアルに、見えない世界を見えない(知り得ない)だけとして。平和を渇望するが故に見る(構想)があります。


【世界こそが(神)なのだ】と。


神話で見る、神様って、不思議ですよね。

とても人間味溢れていて、愛情深くもあり、嫉妬深くもある。

正直に言ってしまうと、

【こんなのが(神様)だったら困っちゃうな。。。】

って、思っちゃうくらい、人間らしくて。〝人間らしい神様〞って、表現した方が、自然なくらい、とても庶民派な神様。


病気中の私はこんな風に考えました。

いや、妄想させられた。

おおよその人々が信じる神様の形態は、〝人の中の神様〞であると。

人を凌駕している。

けれど、その、〝人の中の神様〞をも超越した存在、ここでは〝宇宙の存在〞としますが、その〝宇宙の存在〞、その下に置かれし者、それが、〝人の中の神様〞。

ご丁寧に、古代の神話まで、崇め、崇めしていた、病気中の私が編み出した(構想)です。

ありとあらゆることを考えた。

あんなに人生のパワーが満タンで、生きる力に満ち溢れ、

あんなにアクセルをふかしたことなんて、後にも先にもないくらい、

私は情熱的に、病気を生きていました。


はた、と、我に返って。

自分が信じていた、愛情深い存在達が、一切、どこにも存在しない、その、〝喪失感〞と〝虚無感〞を味わうことが、

これでの人生に2回。つまり、病気だという理解に至ったことが2回。

私は、2度、神様と離縁している(笑)。

〝例え〞ですけどね。

まるで神のような存在達と語り合い、〝生の恐怖〞と戦いながら、〝世界の綻び〞と向き合いながら。

懸命に生き抜いた時期(病気)は、ある日突然、自覚(認知)として、目の前に立ちはだかりました。

私は、そこを越えて行けなかった。

行くべきではなかったし、行きようもなかった。

ただ、一人の人間には。

病魔がなせる魅惑的な世界から抜け出し、私は私を【ただの、一人の人間である】と、ようやく理解したんです。

でも、それと引き換えに、愛することと、愛されることを失った。

まるで離婚(笑)。

世の中のそれとは違うけど。

大恋愛の末に、大失恋を2回、重ねたような心境でした。

全ては不思議の国のアリスちゃん。空想上の出来事ですけどね。

安心はできない。今の、この理解を病気はいとも簡単に、絡め取ってしまうから。

そうして私は、私自身を失ってしまう。

この、確かだと思える現実を守っているのは、卵の薄皮一枚です。

簡単に壊れてしまう。

そして私は崩壊する。

壊れた私は、元に戻る、保証もない。

そして、過ぎた時間を巻き戻せる技術もない。

今の私は、人間であるという自覚と、人としての生き方をリアル過ぎるほどリアルに、突き詰めようとします。

それは、もう、病気を繰り返したくないからです。


そんな私が考えた、考えている(構想)は、

やはり、私の根元を流れる〝願い〞が故です。

〝世界が平和であって欲しい〞〝平和な世界に、自分も生きていたい〞。。。

その、ためだけに私は、今も、世界や神様達のような存在のことを考えます。

とても、人間的に、人間らしく。

〝幸せに生きたい〞から。。。


私が文章を起こすのは、このためでもあるんです。

だって。。。実際、私は非力過ぎて。。。

職場でも、オロオロと、周りの顔色を窺うばかり。

いつも大変に疲弊しています。

そんな、無力な私のツール。。。それがネット(note)です。

ただ、周りに流されて消えていくだけの私の存在から、

何か、〝キラキラした砂金のようなもの〞が掘り出せるなら。。。

私は、そんなことを夢見ながら、文章を書き起こすのです。

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