駅伝鉄 鹿児島県下一周駅伝初日観戦記
令和5年2月18日(土) その2
指宿での観戦を終え、知覧へ向かう。指宿駅のバス停は、駅前にある。時刻表を見ると、鹿児島市内や鹿児島空港へのバスもあるようだ。
空港行のバスがやってきて、数人が乗り込んでいった。荷物を載せる作業をしていたバス案内所の方が、知覧へ行きますか?と確認したうえで、駅伝の影響で遅れる旨を教えてくれた。
やってきた知覧行きのバスに乗客はおらず、駅前で乗ったのも自分と息子の二人のみ。このあと途中で2、3人の乗り降りがあった程度だった。存続をちょっと心配してしまう。
バスは列車でやってきた道を逆走するように線路沿いを進んでいく。海沿いを走っていたが、喜入駅近くから、山沿いに入っていく。道路も坂道となる。
いくつかのアップダウンを越え、知覧の街に入ってきたことが分かった。駅伝の通過までは2時間ほどあるので、知覧特攻平和会館を見学する予定でいた。コロナ禍の前、知覧に行ってみたいと思っており、南九州市にパンフレットを請求していて、自宅に置いていたものが、今回ようやく役立ちそうである。
特攻会館の周辺は、石灯籠が多数。独特な雰囲気を醸し出している。
バスを降りると、目の前にはお土産屋と駐車場が広がっている。駐車場には観光バスが多数停車している。修学旅行やよくチラシで見かける霧島指宿2泊3日の旅のようなツアーだったりとにぎやかだ。 昼食をとり、目的の知覧特攻平和会館へ。
特攻隊員の遺書が多く残されていれ、読むだけで一日経ってしまいそうだ。知覧の飛行場の成り立ちや展示されている旧日本軍の飛行機を主に見て出てきてしまった。若者がどのような思いで飛行機で敵艦に突っ込んでいったのか、もう少し多面的な展示のほうがいいように個人的には思えた。
駅伝のコースから離れているので、路線バスで知覧の中心部へ向かう。乗ったのは鹿児島行き。10人ほどのお客を乗せて出発した。観光客がほとんどに見えた。そんななか、知覧中心部の南九州市役所近くのバス停で降りたのは我々2人のみだった。
選手の通過まで30分弱あったので、近くの駐車場のベンチで休憩。
南九州市役所前の交差点から南へ少し歩くと、武家屋敷の入口があった。この路地を入っていくと、伝統的建造物保存地区の武家屋敷が立ち並んでいるそうだ。今回はそこまで行く時間がなかったので、またの機会にしたいと思う。
南日本新聞のホームページの位置情報を見ると、上位3チームが抜け出しての日間首位争いを続けている。
広報車が通過し、しばらくすると、遠くから監察車の声が聞こえてきた。
先頭は鹿児島、その後ろも2チームが見えている。この区間は中継所まで1kmほど。次の最終区まで首位争いは続きそうだ。
3チームが通過するとしばらく間が開いている。このあとは繰り上げスタートなっているのでようで、見た目の順位での通過となる。この区間は13.4㎞と比較的長丁場。ちょっとのミスで順位がひっくり返ってしまう。各チーム、中継所まで残り1㎞ほどということもあり、監察車の声が大きくなる。
繰り上げ組はそれほど差がなく過ぎていった。これで観戦は終了だ。あとは帰るだけだが、もう少し見たいという衝動に駆られてしまう。来年もまた来ようかな、とすでに考えている。