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のりしろオリンピック

オリンピックTokyo2020の開催にはいろいろな意見がある。

個人的には、無観客で開催がよいと思っていたので、それがかなったともいえるが、もっと早く無観客宣言をして、選手や大会関係者に混乱をきたさないように、感染症の拡大に万全を期していることを広く知らせ、インターネットを利用した音声の応援などの工夫をしてほしかったと思っている。

開会式セレモニーにも批判は多々あるが、1964年と比べると「ユーモア」のある演出が入っているところが良いと思った。日本もそれだけ成熟した国になったのだと思うことができる。

オリンピックの開催の可否の議論を避け、主催者の顔もあいまいな、透明性の欠如には、(おなじみの形態とはいえ)がっかりさせられる。理事会で開会式はシンプルにという意見がまとめられたのが、無視された、と報道にあったが、なぜ、あのすばらしいドローンのプランなどを示して、これを行うことの意義をしっかりと述べることができなかったのだろう?

イギリス人が、日本の経済水準でオリンピックの赤字に国民が苦しむことはない、と言っている記事をずいぶん以前に目にした。赤字は大いに気になるが、確かに、時間をかけてなんとかなるものなのだろう。(赤字が取りざたされた過去のオリンピック主催国が、オリンピックのために経済破綻したとはきくことがない。)

堂々と表に出ることなく、確実に、ステークホールダーをつなげて、オリンピックのマネージメントは遂行される。Tokyo2020は、のりしろが表面を決定する、のりしろのオリンピック、と思い始めた。

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