目白村だより33(映画主題曲への誘い②)


ゴジラ(1954)


アカデミー視覚効果賞を獲ったということで、「ゴジラ−1.0」を見た。沢山のゴジラ映画を、見てきたが、いつも戻るのは、最初の作品である。1954年東宝作品は、本田猪四郎が監督。脚本は村田武雄と本田の協同である。
私はこの映画を、リバイバルで、1960年以降に見ているのだが、モスラや、大魔神や、様々な特撮映画が、混ざってしまい、後年見直すまで残っていた記憶は、伊福部昭のメロディだけだった。逆にそれほど、何度も繰り返される野太いメロディが、強烈だったのだ。私のなかでは、あのメロディ=ゴジラになってしまっている。 

ゴジラは、そもそもアメリカの水爆実験の突然変異で、出現したという物凄いメッセージを持っている怪物だ。その年(1954)三月に第5福竜丸が、被爆したという大事件が、伏線になっている。
日本は、広島、長崎に原爆を落とされた国だが、その核の傷みを充分知る日本を、またゴジラが、壊しまくる。終戦の焼け跡から約10年。それは、余裕なのか、抗議なのか、マゾヒズムなのか。
第一作目を見直して、私は伊福部昭の音楽が、その答えだと思った。(重い哀しみの抗議)である。
伊福部昭は、早坂文雄の紹介で、映画音楽業界に入ったが、共に札幌という、中央の日本のクラシック業界から、遠く離れた土地で、サティやドビッシーの音楽研究会から、その活動を始めている。
音楽だけでは食べられず、林業に携わったが、そこで木材の強化のために、実験使用されていた放射能で、被爆をしている。「ゴジラ」は、彼の被爆体験もかさなっているのだ。「ジョーズ」という鮫パニック映画、古くはヒッチコックの「サイコ」の効果音…それらと伊福部昭の仕事は、深さが根本から違う。

2024年、そのゴジラが、70年たってまた再々金を稼ぎに現れたわけだが、今回は改めて特殊撮影が、進化したことを十分認めながらも、映画自体が、明らかに1954年の、初作に届かないことを見せられる事になった。それは、技術的な問題ではなく、ゴジラの象徴性をどう捉えるかに起因している。製作側の、時代感覚の浅さである。
あれから、放射能問題で、散々悩まされている日本でも、ゴジラは、怪獣マニアのアイコンとなり最初の持つ意味あいは、すっかり薄れている。恐竜の生き残りとして、「カワイイ」といわれそうな、身近な存在になってしまっている。
 アメリカ側も、マーシャル群島やネバダ砂漠で、繰り返した、度重なる核実験を隠し続け(風化した頃認める慣例に違わず)、アメリカの若い世代は、コジラは日本の核実験の失敗から生まれたと、思っている。(そういうハリウッド映画もあった)
だから、ゴジラのハリウッド版までが、何作も作られる。
怪獣愛という言葉まである。何も、ゴジラ映画のゴジラは核廃絶のシンボルと言いはりたいわけではない。日本映画をもり立てる一助になるのも大賛成。
ただ、新作が出ると、お祭にしてしまい、少しも最初の誕生の話はしない、世の中が可怪しいと思うのだ。



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