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先生、それ一番カッコいい奴や 生物教師の上田センセー

学生時代から、私自身、いや、私をよく知る方々からは自他ともに認める不ヅキの持ち主である私が、唯一他の人よりもツイていたなと思っていることが一つだけある。

それが「担任のヒキ」である。

思えば野球部を辞めた時に止めてくれたヤクザみたいな見た目の先生、高2の赤点を無理やり上げてくれたあの先生も、今にして思えばこのヒキが無かったらきっと私はもっと腐った人間になり果てていただろう。

そんな中でも一番思い出に残っている先生が「生物の上田先生」だった。

上田先生は高校1年の時の担任で、40代だったと思うが見た目はもっとオッサンで中肉中背で、ガマガエルみたいな見た目の生物の先生だった。

そのころ私はサッカー部の先輩にカモにされた夏から麻雀の面白さにどっぷりと嵌り寝る間も惜しんで麻雀の勉強に励んでいた。

元々親からもらったお味噌の出来は悪くなかった為、塾の類など無縁ながら進学クラスに入学していたが、いかんせん努力をしたことが無く、あっという間に成績はバジリスクの鷹くらい急降下した。

その間も先生は「お前はやれば出来るのになぜやらないんだ」と言ってくれていたが、そんな誰にでも言ってる定型の文句など意にも介していなかった。だが、一つ問題が起きた。

当時通っていた高校は長期休みの時にバイトが出来たのだが、テストで赤点を取るとバイトの許可が下りない決まりだった。

なんとかバイトをさせてもらえないか先生に頼みに行ったところこういわれたのだ。

「許可してやる。その代わり次の定期テストで450点とれなかったら、バイト代の半分を寄付せえ(多分ユニセフかなんか)それでも良いなら許可してやる」

私はまさかの許可に深く考えずに2つ返事で応えた。喜び勇んでバイトにいそしんだ。そして次の学期、しっかりと赤点を取った私は約束通りバイト代の半分。2万を握りしめ、上田先生の所へ向かったのだった。

放課後の西日も相まって、先生は少し悲しそうな顔に見えた

「そんなもんもうええわ」

と言った。けれど私も当時は若かったので意地になって

「約束は約束やでこれは渡す」

といって聞かなかった。しばらく先生も中々受け取らない、私も引かない押し問答が続いたが最後は受け取ってくれた。

当時は期待して許可してくれた好意を裏切ってしまったことすら私は気づいていなかったことに申し訳ないなぁ。とつくづく思う。



それからしばらくたって大学2年だったか3年だったかの夏休みに、実家に帰省した時、母親が押し入れの片づけをしていた。

ふと母親が封筒の束の中から「なんやこれ?あぁこれ上田先生の手紙やった」と呟いた。

私は寝っ転がってTVを見ていたが、何それ?と訊くと、私の知らない事実を聞かされた。

実は高1のあの休みの後に先生から連絡があって、私とバイト代を賭けて焚きつけたこと、それが私のやる気を起こさせるスイッチになればと思ってやったが、そのやり方が失敗し(私が悪いのだが)間違いだったかもと葛藤したこと。私が約束は約束だからと言う気持ちを尊重し、寄付は先生のポケットマネーから実行し、私のバイト代2万を母親に返していたこと、これは母親だけに留め置いて私に言わないで欲しいと言ったそうだ。

あのガマガエルみたいな見た目の先生が、その時も、今も、私の中では一番カッコいい先生です。

先生、その後も全く努力せず大学も留年した、喉元過ぎれば熱さなんちゃらの私でしたが、その節は本当に申し訳ございませんでした。

いつかお会いできるのを楽しみにしております。

#忘れられない先生

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