見出し画像

テロの後、米軍のアフガニスタン侵攻。改めて、戦争をしている国に住んでいるんだな。

このころ、コロナやリーマンショックほどではないですが、企業の破産、リストラはある程度マンハッタンではありました。

私もヘルプデスク自体の仕事もなくなり始めます。なぜ? 働いていた従業員、が日に日に減っていくからです。

とある日、上司から、、中西部に、

レストランを開く予定で、すでに何店舗か持っているところの、POSなどを統括して管理してくれないか?

と打診が来ます。

場所は、シカゴのはずれ、、

そこの企業は、個々の企業の系列とはいうものの、結構大手の細分化した一番小さい会社といった感じです。

このまま、解雇されても仕方ないので、承諾します。

肩書は、ITマネージャーです。

そのころは、まだ若かったので、雇用条件などきちんと確認すべきでした。

2003年の4月に移動予定です。

ただ、家族は、7月に引っ越しです。

この会社は、結局2003年11月には、解散して従業員は、各地の系列会社へと移動していったそうです。

さて、2003年8月14日、29時間続いた、あの大停電の時は、シカゴのはずれにいました。

しかし、同僚は、まだ、JERSEY CITYにいました。

いきなりの停電、またテロなのか? 情報の混乱する中、、、ワシントンブリッジを歩いて帰る、ニューヨーカー達。そして、みな助け合っていたと、、のちに聞きました。

ドイツ人の友人は、この時マンハッタンから船で人々を可能な限り積んで輸送を助けていたと聞きました。

マンハッタンでは、停電の10分後には、BLACK OUTと書かれたTシャツが売られていたそうです。たくましいな。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?