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アメリカでは、とにかく、どこに行っても星条旗が目につきます。独立記念日の時は、もっと増えて、あちらこちらと立ててあります。

テロの後は、どのくらいの期間かおぼえてないですが、かなり長い間、星条旗は半旗で、または、丸めてありました。

すぐに、時の大統領ブッシュ息子は、経済支援策などしていましたが、マンハッタン自体元気もなく、交通規制もひどく、コロナの今のマンハッタンに似た感じでした。

ただ、違うのは、多くの消防士、警察官を失いました。

9月下旬に、日本に一時帰国するために、その前にパスポートを申請していたので、とりに日本の領事館に向かいました。地下鉄は、あいかわらず苦手で、なんとか、パストレイン(ニュージャージからマンハッタンに行く鉄道)の33丁目で降りて、49丁目まで歩いていきました。

まばらな人々の中を歩いていきます。

消防署の前には、たくさんの花束と犠牲者であろう写真が飾られていました。

もちろん、星条旗はたくさん置かれていました。

警察官とかすくなくなったので、もちろん州兵が展開していましたが、、、犯罪も少なく、治安的にも当時は問題なかったです。

むしろ、今のマンハッタンのほうが危険です。

さて、日本に一時帰国です。

念のため前日、航空会社に問い合わせたら、日本便は、通常運行しているということなので、、まだ、小さな子供3人つれて JFKに向かいます。

このころは、まだコンファームするため電話してました。なつかしい。

交通規制も緩和されていて、ワシントンブリッジから行きました。

空港に入る前の検問、おびただしい、州兵の数。

空港に入ると、なんとUSマリーンの部隊がいました。なんで、海兵隊??M16を持っていて、いわゆる、戦闘状態で何人か待機しているのを覚えています。

セキュリティーチェックも、荷物を赤外線に通した後、しかし、まぁ必要あるのかな?前のおそらく、学生の日本の女の子、トランクケース全部あけられて、パンツとかの下着類もあるのにお構いなく外に出して2,3人で検査してました。この娘が、テロするんかいな?

ちなみに、預ける荷物も持ち込みの荷物も同時に、検査してました。そして、検査し終わったら預けていました。

こんなことをしてたら間に合うのか?とも思いましたが、私たちの後ろには、誰もいません。

ちなみに、子供3人を抱えた私は、お構いなしでした。つまり、ノーチェックでした。

まだ、飲み物とか機内に持ち込んでよかったので、ミルクとかアップルジュースとか、満載でした。

機内へと乗り込みます。

ほとんど乗客もなく貸し切り状態で日本へと飛び立ちます。

アメリカにもどれるのかな?という不安とともにです。








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