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会社辞めました。修業日記の終わり。

2020年5月末日で、勤務していた映像制作会社を辞めました。

2017年4月入社から丸三年。

以下、多くの人が新卒の22歳~24歳くらいで経験し考えることを、38歳になった自分が書いてみました。

1.そもそもの経緯と結果

なぜ就職することになったかは、三年前に書いていた。

https://note.com/tomoyukiueno/n/necf48813695f

長いし、もはや自分ではまともに読み返せないけど、希望に溢れていた。

祖父の遺産と両親からの仕送りを使い果たした(@35歳)という現実的な理由とは別に、いわゆる「志望動機」としては、

①もともとキャスティングとか企画を考えるのが好き。(華やかな企画を立て、有名人から小劇場仲間までどんどんキャスティングして、チヤホヤされたい)

②海外ドラマのショーランナー的なことがしたい。(その結果、チヤホヤされたい)

③人生におけるクエスチョンの一つ、「サラリーマンだったらどこまで通用するか」を試したい。(その結果、「できるサラリーマン♡」と言われチヤホヤされたい)

④製作サイド、発注側がどういう論理で動いてるのか知りたい。

の四点に要約できる。

(あと書いてなかったけど当然、社内恋愛・社内不倫もしたかったが、結論から言うと皆無でした。非常に無念です。)

④についてはよくわかったと思う。翻って、発注する側から見た時に、フリーランスはどう振る舞うのが良いのか、ということもよくわかった。でもその多くは、会社に入るまでもなく、よくわかっていたことだった(例:締切を守る、等)。

①~③については、そもそも制作会社の(アシスタント)プロデューサーがどういう業務を遂行するものなのか全くわかっておらず、仕事に追われる内に当初の希望は霧散した。もちろん、望んでいたチヤホヤの5%も満たされなかった。

皆さま就職して最初の数年は、同じような感じでザ・理想と現実の狭間で葛藤するということで宜しいですよね?まあ俺ほどリサーチ不足で会社に入らないか。

ちなみに⑤として「会社の経費を使いまくりたい」もあった。

これについては映画観賞も観劇も本も漫画も会食も全て経費で落とせたわけで、希望の上をいったと言うか、会社を辞めて唯一後悔していることは、在籍している内にもっともっと、、、以下略。

会社としては俺のような人間が辞めたことは、少なくとも経理的には本当に僥倖だと思う。

2.プロデューサーの仕事

一言に「プロデューサー」と言っても、様々な立場、グラデーション、仕事がある。

そのあたり、全くわかってなくて、入社前は

「企画を考えてキャスティングする人」

くらいのイメージだった。

完全な間違いではないが、僕が入社したのは「制作プロダクション」。

仕事は「アシスタントプロデューサー(AP)」。

プロダクションとはわかりやすく言えば「下請け」で、テレビ局や映画会社から仕事を「貰う」立場。

だから、プロダクションのAPの仕事とは、ドラマ・映画など映像制作のあらゆる段階のあらゆる「雑用」。

アテンド、気配り、各所への連絡・共有、許可取り、トラブル処理、幹事、食事の手配、エトセトラ、エトセトラ。

つまり、35年間の人生で自分が巧妙に避けてきたことを全部やった。

よく覚えてるのだけど、入社初日に、自分・上司・上司・クライアントの四名で居酒屋に行った際、上司からメニューを渡されて、

「こういう時は上野さんが注文するんだよ」

と言われた。

店で料理の注文なんて、女性と二人の時しかしたこと無かった。

弱小劇団でも主宰などやっていると、いつの間にか多くのことを周りの方がやってくれていたのだ、と痛感した。

そして、一番気づかいをするべき立場なのに、その手前のビジネスマナー、どころか人間としてのマナーすら知らないことが多すぎた。

マジで、「車で移動中、助手席に座ったら話をするのがマナー」ということすら知らなかったです。知ってた?

そんなだから大変だったし、加えて映像制作の流れも全く知らなかったので、現場も辛かった。(お前マジで何も知らずに入社したな)

例えるなら、舞台の仕込み日、何をしたら良いかわからず手持無沙汰で、内心ビクビクしながら、なるべく声かけらないように人が少ないロビーや楽屋をウロウロして、たまにゴミとか拾う人(でも実はその場の責任者の一人でもある)みたいな感じ。

これが22歳の新入社員なら可愛くても、こちらは35歳の正体不明の(劇団やってましたとか言ってる)素人。

加えて、ご存知の通り映像制作は朝が早い。6時集合とか普通。(そして自分は一番最初に着いてるべき立場)

更にプライドだけは高いから、嫌いな監督から一言怒られるだけでも、全部投げ出したくなったりしていた。

そのようにストレスや愚痴(ほぼ自分のせい)がたまっていった2018年6月のある日の日記はこんな感じ。

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以上、二行。

察して下さい。

当然、ほとんどは自分の甘えである。それは自覚していた。

・やらされていると思うから辛い。仕事を「自分ごと」にしよう。

・やった仕事ではなく、やっていない仕事の先延ばしのせいで疲れる。

・向き不向きは、やってみないとわからない。

ビジネス啓発本の1ページ目に書いてあるようなことばかりだ。

(ところで、キムタク先輩の「手を抜く方が疲れる」って本当に名言ですよね。)

本当にやる気があれば、早いとこ仕事を覚え雑用をこなしつつ、元々希望していた企画業やキャスティング業に全力を注ぐことも出来たはず。実際、それもプロデューサーの大事な仕事であり、それこそが会社の受注にも繋がる。

でもこちとら35年間、甘えてきたのだ。もう矯正できない。

いかに「宙に浮いた仕事」を引き受けずに済ますか、ばかり考えている時期もあった。

35歳・職歴ゼロの男を拾ってくれた上司はじめ皆様には申し訳ない限りでした。

そんな生活の中ではとにかく、定期的に愚痴を言いまくることで救われた。LINEで「辛いです」と呟けば「じゃあ飲みましょうか」と付き合ってくれる人たちがいる幸運には、本当に感謝しました。

それが無ければ精神を病んでいたかもしれない期間もたくさんあった。

「仕事 辞めたい」なども5億回くらい検索して、何の解決にもならないけど、無数の先人たちの泣き言にも少しは救われていたと思う。

(本当に過酷な職場で心身をすり減らしてしまった方々は、当然ながら「甘え」などではありません。然るべき医療機関、或いは法的機関にご相談して下さい。)

3.羨望とか嫉妬とか気づきとか

別に脚本家や演出家を辞めた(諦めた)わけではなく、寧ろ延長線上のつもりだったが、上気のように業務内容が全く違った。

その上、企画書の「脚本」「監督」欄には誰か別の人の名前を書かなくてはいけない。(自分はプロデューサーだから。)

「この役を誰に演じて貰ったらいいか」はいくらでも思いつくけど、

「この原作を誰に監督(脚本)して貰えばいいか」という発想はよくわからなかった。(正直、今でもよくわからない。)

なぜ(自分じゃなく)他の人の名前を書かなきゃ駄目なんだ、とも思っていた。

やがて「もっと脚本家として実績を残し、名前を売っておくべきだった」というシンプル過ぎる後悔の念を抱くようになった。

また、俳優とは「演出家として」しか向き合ったことがなかったので、無名の一スタッフになった時に、どう接したら良いかもわからなかった。

演出家としては比較的、俳優個人と仲良くなる方だと思うけど、APとして親しくなった人はいない。(そもそもマネージャーさんとしか話さないけど。)

そのような諸々の結果、演劇公演をしている演出家が羨ましくて仕方なくなった。

ひどい時には、TLに流れてくるどこかの学生サークルの公演情報で、顔も知らない作・演の人にすら嫉妬した。

公民館の和室で稽古してる写真なども、実に羨ましかったなあ。

自分は劇団時代、何度も何度も「台本書けない」「演出の仕方がわからない」ことにより現場を苦行にし、自滅していた。(本当、人生でずっと泣き言を言ってるな……)

でも自分の名前で脚本を書いたり演出をできなくなって、いかに過去の現場の一つ一つが有り難く、尊いものだったか痛感した。

一方で、「クリエイターの評価軸」は実に様々であることもよくわかった。

かつては、自分の中の凝り固まった軸で評価されないと、意味が無いと思っていた。

同業者に認められる、評論家に褒められる、賞を貰う、○○さんが観に来てくれる、名前が広く認知されている、などなど。

オリジナリティがあって、センスある人に認められて、売れていること。

それらの多くは、TwitterのTL上で可視化される(ように思える)ものだった。

そうして人と比べては、自分は駄目なんだ、と落ち込んでいた。(そこに恋愛も絡むと最悪だぜ)

しかし会社に入り、発注側として様々な監督や脚本家と知り合うと、上記のような評価軸とは全く無縁の所で活躍している人がたくさんいることを知った。

わかりやすいのは、テレビドラマの監督。なぜか日本では、映画を撮っていない監督の名前は一般に認知されづらい。

でもテレビ業界では、実力があり、安定して仕事ができる監督は重宝される。

逆に、これと言った特徴もセンスも無い(と思われる)脚本家が、継続的に仕事を受注していることもある。

自分も、過去に頂いた仕事一つ一つにもっと真摯に取り組んでいたなら、少なくとも脚本家としての収入は安定していたのではないか、とも反省した。

(お察しの通り、人生のほとんどのことは、後悔・痛感・反省しています。)

(あと「頑張れば売れていた」って、才能&実力はある前提なのが図々しいですよね。アラサーちゃんにそういう話あったね。)

4.さて、会社を辞めて

昨年、会社の決定により、所属する映像制作の部署が閉鎖されることになった。

(外資系なので御偉方でどんな空中戦があったのか不明ですが、俺の「仕事辞めたいオーラ」が気化して上層階に上ってしまったのかもしれない。)

一応、正社員だったので、異動先の内示もありましたが、これまた全く経験のない部署であり、元々辞めるつもりだったので、退職することにしました。(10時-17時で帰れる部署があれば良かったのになあ。)

3月までは引き継ぎ業務(先に上司は辞めていたので、俺の勤怠管理をする人がいないという天国状態だったのだが、詳細を書くとマズいのが残念)、4月5月の緊急事態宣言期間が有給消化という、なかなかラッキー?な流れだった。

今後のことはノープラン。

まずは演劇やります。三年ぶり。

とても楽しみ。

創作の純粋な喜び、という点では、小劇場は非常に良いですよね。

和室で稽古、できるかな?

脚本・演出業を積極的にやっていきたいと思っています。

何でもお声がけ下さい。

そして会社員時代、長期の休みをとることも出来なく、「また東京以外の地方でも演劇したいなあ」と思っていたので、機会があれば是非行きたい。

などと考えていたら、演劇も移動も自粛せざるを得なくなるとは、です。

そしてここまで書いておいてなんですが、さすがに映像制作も一通りは出来るようになりました。

今もいくつかP業の仕事をやっています。

現場よりは、ポスプロの進行とかスケジュール管理の方が好き。

撮影現場は朝早いのと、ピリピリしがちなので苦手ですが、人止めとか制作応援くらいならやります。

お知り合いの方で、人を探していたらご相談下さい。

今は自由(無職)を満喫してるし、会社辞めたことに後悔はないのですが、あれですね、つくづく日本社会は会社員向けに設計されているから、諸々の手続きが楽でしたね。年末調整も会社がやってくれるし、賃貸契約・クレジットカードの審査も一瞬で通る。

色々勉強になりました。

この三年間で学んだことも書こうと思ったけど、長くなってしまった。

そういうわけで今後ともよろしくお願いいたします。

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